40回目の結婚記念日。


結婚40周年はルビー婚式。


服を買いレストランで食事をしようと言う。

食事の時間は何を話しましょうか。

今日はお天気が良かったね、とか?

夜景が綺麗だね、とか?

他人よりももっと遠い他人との当たり障りのない会話のように…


長年夫婦でいたのだから記念日くらい祝ってやらないとほんのちょっと悪い気がするんでしょうかね。


ほんの数日前に女を連れて遊びに行っていたことを必死で隠そうとしどろもどろになっていた夫。


その思考回路がどうなっているのかどんなに考えても理解できない。


息子曰く

「オスの本能」

だとか。


本能の赴くままに生きているということでしょうか?

それはある意味幸せなこと…否、本能の赴くままに生きている本人にとっては非常に幸せなことでしょう。

それに翻弄されて生きてきた私にとっては?


オスと言えどそこは人間、心とか感情とかいうものがあって然るべきではないのか?

罪悪感、というものを持ち合わせていない夫にとっては常人ならあるべき感情がない。



割り切る?

何をどう割り切ればいい?


生活費をもらっている代わりに週に何度か食事を作り食べさせ、たまにあちらの家のお掃除に行く?

そしてたまに欲しいものを買ってもらって一時の嬉しさに浸ればいい?


一緒にいても猛烈に襲ってくる孤独感と戦いながら顔で笑って心で泣く。

空々しい優しい言葉に背筋を凍らせながら。


いつも服を買うお店の子に

「いつも本当に仲がいいですよね〜」

と言われるとなぜかものすごく嬉しそうな顔をする夫。

そして

「いつも仲がいいって言われるよね〜やっぱりそう見えるんだよね〜」

と言う。

何を考えているのか私には全くわからない。

恐ろしいほどわからない。

新種の人種か?というほどわからない。


いつまでたっても心の平穏はやってこない。


私にはまだ学ぶべきことがたくさんあるのでしょうか。


誠実

信頼

夫の中に私の欲しいものは何もない。



「世の中には色んな人がいて、いい人ばかりではないんだよ。いい人ではない代表格と40年も一緒にいてなぜわからない?」

といつも娘に言われる。

やっぱり私は無駄に年をとってきただけの世間知らずのようです。



形だけの結婚記念日に想う。