今私が仲良くしている2番目の兄嫁。

うち同様ひどいモラハラの義兄に何十年も翻弄されてきた。


その家でも義兄を起点として様々な事件が起こってきた。

義兄自身のこと、子供たちのこと、そして兄嫁自身のこと。

次から次へと起こってくる大変なことによくも挫けず耐えてこれたと皆が思っていた。


それはきっと私のことも皆がそう思っていたのだと思うけれど、私よりも段違いに苦労を重ねてきた兄嫁。


嫁が4人いるけど、私とその兄嫁は専業主婦。

後の二人はフルタイムとパート勤めだった。

よくモラハラ夫は妻を専業主婦にしたがると聞くが、その方がコントロールしやすいからだろう。

実際勤めに外に出ていた兄嫁たちは、私たち専業主婦組より明らかにダメージが軽かったと思う。


外の世界を知り、仕事という大義名分の元、自分の世界を持っていた兄嫁たちに比べ私たちは家の中だけが全て。

そこで日々起こる出来事に一喜一憂し悩み苦しみ何十年も生きてきた。


私は夫と別居し自由な時間を手に入れたが、2番目の兄嫁はまだ自由もなく毎日のように起こってくる出来事に翻弄されている。


あまりにも大変なことが手を替え品を替え兄嫁の前に立ちはだかってくる様を見て、ふと思ったことがある。


昔嫁たち4人でお茶したときに言ったその兄嫁の言葉

「うちの人は不幸なことが起こると私に優しいの。ひとつ不幸が終わるとまた元通り、そしてまた不幸なことがあると私に優しくなる。おかしいでしょ」と言っていたことを思い出した。


うちの夫にもそんなところが見受けられたがその時はそれほど何も思わず聞いていた。


それって…

モラハラ夫の典型的な特徴ではないのか?


そして、もしかしたら私たちは優しくしてほしくてそんな状況を自分で創り出しているのではないか。

こうすれば、こうなれば、こんなことが起これば→夫が優しくなる。

私にも思い当たる節はある。

体が丈夫でない私、具合の悪い私、でいれば夫は何も強く言えない。


こうして私も自分の精神を保つためにそんなことを自分の人生に創り出してきたのかもしれない。

それは兄嫁も同じで、ある意味自分を守るために今も一見不幸に見える出来事を創り出し続けているのではないだろうか…


そして先日兄嫁は私に言った。

「こんなに次から次へと大変なことが起こってくるのに私は心を病むこともなくこうして生きているのだから、鋼の女だね」と。


おそらく兄嫁にはまだこれからも、義兄が死ぬまでその人生が繰り返されるのではないだろうか…

ずっと昔からじわじわと心を蝕まれてきたことに気づいていないのではないか…

そんなことを思った。



私は改めて自分に問うた。

私はずっと大変な人生を望むのか?

自分を痛めつけるだけの夫に優しさを求める必要はあるのか?

人生は修行、大変な思いをして魂を磨いてこそ幸せになれる?


違う!そんなに大変な思いをしなくても楽に幸せになってもいい。


もっとシンプルに軽やかに楽に素直に幸せに向かっていっていい。

誰の許可を得る必要もない。




優しい兄嫁が心の平和と自由を取り戻せることを祈って止まない。