長兄の嫁は結婚してからも勤めていたため、子供達の面倒は姑がみていた。


しかし、兄嫁が仕事に出かけると毎日うちに連れてきては

「遊んでやれ」と言って置いて行った。

そして兄嫁が帰宅する直前に迎えに来た。


私は慣れない子育てに、人の子供まで加わり気が狂いそうだった。

下の子供は娘と同い年だったから予防接種から何から全て息子をおんぶして二人の手を引いて連れて行った。

時々うちの子供が風邪をひいたり熱を出したりすると

「うつったら困るから帰ろ帰ろ」

と言って帰って行った。

その時の私は子供が熱を出しているのにホッとしたものだ。


そして、逆に兄の子供達が熱を出したりするとうちに連れてきて

「あんたんちの子供の面倒を見ててやるから今すぐ病院に連れてって」

と言われた。

そしてその後うちの子供達が熱を出し病院に行く、というおまけ付きだった。


それでも兄嫁にムカつくと姑は

「誰のお陰で働けると思ってんの?!」

と兄嫁に怒っていた。


そしてそれは子供達が幼稚園に入るまで続き、幼稚園の送り迎えと夕方兄嫁が帰るまでうちで預かる、というパターンに変わっていった。


そしてそれからあちらの子供は

「遊んでやるぞ」

と言って来るようになった。

姑はこうやって4人の子供を育ててきたのだから息子達は誰に迷惑をかけようとお構いなしに、やってやった、言ってやった、人に物を貰ってももらってやったと口走る。


今でこそ笑えるが、その頃の私は笑えなかった。

姑と夫に対する恐怖と憎しみで一杯だったから。


兄の子供は活発と言う以上のヤンチャですごく手がかかった。

正直に言ってしまえば、うちの子供達は大人しかったから、この子さえいなければ、と何度も思い憎しみさえ感じた。


下の息子にまだまだ手がかかる時期でもあったし、夕方になるといつも頭痛がしてフラフラした。

今思えばそれは、夫がもうすぐ帰ってくると思うと出る体の反応だったのだと思う。


そして子供達が小学校に入ると次に待っていたのは、姑と近所の友達数人を乗せての買い物ツアー。

それがない日には、うちに何人も友達を連れてきてお茶を飲み喋る。

玄関の鍵をかけていると怒られた。

サッと入ってこれないじゃないかと言う。

気候の良い日にリビングの窓を開けていると、急にそこから黙って入ってきて

「お茶!」と言った。

お茶を出せば

「お菓子も出さず本当に気が利かない嫁で私は恥ずかしいわ」

と顔を歪め皆に言っていた。


中にはとても申し訳なさそうにするおばさまもいたが、大方は類友。

まともな人は来なくなった。


当時の私は、こんな人間がこの世にいるなんて恐ろしい、と思っていた。


そして極め付きは、親類縁者が集う席では必ず私のことを

「こんな子もらってやったけど本当に一生の不作だわ」

と言っていたこと。


そもそも体が弱く片親の子、というのが姑が私を気に入らない理由らしかった。

母子家庭=貧乏という図式らしい。

さらに私は母が倒れ介護が必要になり大学を中退していたから余計にだった。

姑自身が舅の家よりお金持ちだったことをいつも自慢していた。

そして息子の嫁達の実家も自分の家よりお金持ちからもらっている、と言っていたから私がとにかく気に入らなかった。


上の娘の妊娠がわかったときから私は具合が悪く入退院を繰り返していたことで、働き手としての嫁の務めを果たさせない不作の嫁ということだった。

田舎の兼業農家で、いかにお金持ちの家から体の丈夫な嫁をもらうかに価値を置いていた姑にとってそれはそれは気に入らなかっただろう。


そしてまた時が過ぎ、次は連日病院通いが始まった。



私はいつも思っていた。

結婚をする相手を間違えたのだ、人間が違いすぎると。



こうして振り返り書いた物を読んでみると、そんなこと本当にあるのかと思えるほどありえない事ばかりだと思う。

でも当時の私はこの毎日に完全に生きる気力を無くしていた。

そこから抜け出すことを考えることもなく、永遠に続くように思われ絶望していたのです。



つづく