いよいよ2022年が始まりました。


昨年末私は、12月に入ってから姑が数日入院していたことを夫から聞かされていましたが、私の頭の中では、夫から一緒に実家に行けと言われてから年末まで、恐怖と怒り、悲しみなどが入り混じりどうにもやるせなく、心中穏やかでなかった。

何と言っていいものか…

どんな顔をして行けばいいのか…


しかし年が変わる頃、ふと思った。

夫のことがわかる前の私と姑の関係はどうだったろう、と。



四十年近くほぼ毎日顔を合わせ、ずっと心を込めて尽くしてきた。 

そこには、好きで一緒になった相手の親だから何と言われようと耐えないと、という気持ちがありました。


普段の病院通いも同居している兄嫁が働いていたため他の兄嫁と交代でやっていたが、私が行くことが多かった。

病院の帰りに姑と2人でランチをすることも多くなっていた。


姑が入院した時も毎日病院に通った。

他に兄嫁達がいるけど、私は毎日病院に顔を出し洗濯物を交換しに行っていた。


姑は「そんなに毎日来なくていいのに…」と言いながらも、行くとすごく嬉しそうな顔を見せた。

だからまた明日も来ようと思えた。


これまでに姑は何度か入院することがあったけど、いつかの入院中私に言ったことがある。


「私には娘がいないからあんたのことを頼りにしている。あんたは優しいから私が来なくていいと言ってもこうして毎日来てくれる。それが本当に嬉しい。」と。

そして確かめるように言った。

「あんたは最後まで側にいてくれるかなぁ」と。

この時私は

「もちろん」とだけ言った。


姑を病院に連れて行くとよく看護師さんに言われた。

「いいねー娘さん優しくて」と。

姑は

「いやあお嫁さんなのよー娘に見える?似てる?

みんな娘だと思うのよねー何でも言い合えるからね」と言っていた。

その時私は、全然似てないし、何でも言いたい放題言ってるのはそっちだけで私は何も言えていないじゃない、娘ならもっとはっきりと正しているわ、と思って聞いていた。


でもそんな時姑はいつも嬉しそうな顔をしていたな、と思い出していた。


そんな頃の私は姑の本当の心など何もわからなかったのだろうけど、それでも嬉しそうな顔をしてくれるとこちらまで嬉しくなったものだ。



そして、夫とのことはとりあえずおいといて、その頃の想いで姑に会いに行こう、と思ったのです。




いよいよ年が明け、姑の家に行った。


最初に年始の挨拶をし、

「ご無沙汰しています。」

と言うと自然と私は

「具合が悪かったんだってね、もう良くなったの?」と言い背中をさすっていた。

すると姑は

「うん、うん、あんたはちゃんと食べれるようになったのか?まだまだ太れないみたいだけど…

どこにいてもいい、とにかくたくさん食べて元気でいなさい。」と言ったのです。


私は、四十年近く誠心誠意尽くしてきたことが無になっていなかったのだと感じ、涙が溢れてきて止まらなかった。

あんなに怖くて仕方のなかった姑の中に初めて、本物のあたたかさを感じたのです。

「体を大事にしていつまでも元気でいてね。」と言い姑の家を後にした。


そして思った。

あの時私は、最後まで側にいると言ったのに、姑も私は最後まで側にいてくれると思っていただろうに本当にごめんなさい、と。


私にとって姑は、嫁いだ時からずっととんでもなくひどい仕打ちをする恐ろしい人だとばかり思ってきたが、姑の中では私に対する想いが少しづつ変化していたのかもしれない。

四十年。

長かったようなあっという間だったような…

でも、私にはその長く苦しい日々が必要だったのかもしれない。

そして、夫との四十年も。

私と言う人間は、そんなに長い間悩み苦しまなければ学べなかったのかもしれない。

人は変わっていくことを。

自分自身も変わっていくことを。

そして、人と人との関係性も変化していくのだということを。


人の心はわからないものだということを知り、ずっと持ち続けてきたわだかまりが溶けていくように思えた。


この四十年がなかったら私は非常に傲慢な人間になっていたのかもしれない。



もしかしたら私はやっと、姑からの学びを終えたのかもしれない、と思った。


夫からの学びは…

きっとそれも終える日がくるのだろう。

あんなにひどいモラハラパーソナリティーだった姑があそこまで変わるのだから。



だからそれまで、私は私にできることを精一杯やり懸命に生きて行けばいいのでしょう。



夫が帰るまであと二日。

夫が居心地良くいられるように穏やかな心で接します。



夫が出かけている間に慌てて投稿