1年半前、私が今の家に引っ越して来る時には、姑にも兄、兄嫁にも何も言わずに出てきた。


引っ越して1ヶ月目にお盆で仏様のお参りに夫の実家に行った時には、姑も兄、兄嫁も、私と目を合わせることなく何も話しかけることもなく、まるでそこにいないかのような態度で、まだ憔悴しきっていた私は仏様にだけ手を合わせ、ただただそこにいた。


1番上の兄嫁は他の兄嫁に、あの子はここが嫌で出て行った、と言っていたらしいから無理もない。


夫が直接そう言ったのではなく、姑からそう聞かされたのだろうと推察した。


その後のお正月、お盆、共にコロナの心配があるからと行かなかった。


そして来年のお正月、

「仏様に手を合わせてすぐに帰ればいいから一緒に行け。」と夫に言われた。


本当のことなど言っているはずもないからみんながとても感じが悪いのに、その針の筵に座れと?


当時姑には、自分に女がいたとだけ夫は言ったらしい。


しかしそこはやはり夫の家系。


夫と同じような人が多い。


そんな事くらいで他に家まで建てさせて別居するなど許せん!

私の息子がかわいそうだ。

くらいな感覚だろうな。


私は、まだ夫が住むのだからとほとんどの物を置いて出てきたが、

「全部置いて出て行った!」と姑は怒って兄嫁達に言っていたそう。

たぶんほとんどの物を持って出たなら、

「全部持って出て行った!」と怒ったことだろう。


つまりそれは、どうあっても怒りたいだけ。


何もかもが気に入らないということ。


だからずっと本当に恐ろしかった。

何をやっても何もやらなくても、どうあっても怒りが収まることはなかった。


そんな私にも、兄嫁のこと、ご近所さんのこと、などなどいつも怒って喋っていたのだから、誰のことも何もかもが腹が立つという状態だったのだろう。

姑が誰かのことを褒めたことなど一度も聞いたことがない。


どんなに尽くしてもらっても満足することがなく、もっともっとと要求した。


私はいつも思っていた。

これでも足りないということは、後できることはご飯を口まで運び、トイレに抱えて連れて行くだけなのだけど…と。(介護だ)


それくらい黙って尽くしてきたが、どこまで人にしてもらっても満足することもなく、1ミリも感謝できないことってすごく不幸なことではないのかと今は思う。


なぜなら、感謝ができると心がとてもあったかくなるから。

感謝って誰のためでもない、一番自分のためになる感情だと思う。


しようと思ってできるものではないけど、ふと、ありがたいなぁ、感謝だな、と思うと本当に心があったかくなるのですよ。


その心の温かさを感じることができないことが不幸だなと思うのです。


今冷静に考えれば、姑はすごく寂しい人だったのだろうと思う。

寂しいからみんなに自分を気にかけてほしい。

自分のことをわかりやすく大事にしてほしい。

人に自慢できるほど自分を特別扱いしてほしい。

自分が何を言っても否定することなく同調してほしい。

自分を心から理解し、いつも優しい言葉をかけてほしい。

自分のことだけを特別に大事にして当たり前、と。

(どんなにしてもらっても当たり前だと思っていたのだから感謝の気持ちなど芽生えるはずもないが)


でも姑の残念なところは、自分が期待しているように人がしてくれないとものすごく攻撃的になり完膚なきまでに叩きのめしてしまうこと。

自分をないがしろにされたといって怒り狂う。

いつもいつも自分は被害者。

その特徴は典型的なモラハラ。


だから周りの人は姑のことを恐れて、期待しているように振る舞おうとする。

でもその心に温かい思いやりはない。


寂しさを埋めようとする行為が逆に寂しさを生んでいるような…そんな気がする。


そこに見えてくるのは幼児性…

長い人生をずっとそうやって生きてきた姑のことをかわいそうに思える。


いつも怒りを抱え、攻撃的に人に向かっていく姿勢が長生きのコツかもしれないが、その心は殺伐としていて休まる時などないのではないかと思う。




そんな姑と約一年半ぶりに会わなければいけなくなり、私の心はソワソワとして落ち着きません。

かわいそうだと思いつつも蘇る恐怖。

未だに恐怖に震える62歳 笑

当時はもうそれはそれは本当に怖かったんですよー


なぜいつもそんなに怒っているのか…理解不能だったから。

でもそれは、弱い者にしかぶつけることがない怒り。

強い者には媚びへつらい弱い者を徹底的に攻撃する。

根本的に間違ってると、私はいつも思っていたけど、実は姑自身がとても弱い人間なんだと今は思う。



子供達は「お母さんが悪いわけでなし、堂々としていればいい。何か言われたら全部ぶちまけてやればいい」と言う。

そこで堂々としていられたら、やっと私もモラハラの後遺症から抜け出せた、ということになるだろう。


どんな展開になろうと、私は私自身の心を守っていこう思っている。