先日、叔母が87歳で亡くなった。
短命の家系の人としては1番長く生きた人。
叔母の上の娘も還暦まで生きることなくこの世を去っているから、それを思うと非常に長生きした。
叔母は最初の結婚で娘2人を産んだ。
最初の結婚相手はお酒を飲んでは暴れ、暴力を振るう人だった。
私が小さい頃から叔母は従姉妹たちを連れてよくうちに逃げて来ていた。
そして、下の従姉妹が中学生になる頃、今の叔父に出会い、離婚して再婚した。
今の叔父は、とても優しく叔母を大切にする人だった。
初婚で叔母より4歳若く、2人の娘のことも可愛がり、一生懸命仕事をし、料理が好きだった叔父は家に帰れば美味しいものを作り叔母や子供たちに食べさせた。
叔父と再婚してからの叔母は本当に幸せそうでいつもニコニコしていた。
ところが5.6年前から叔母の持病が悪化し介護が必要になると、それに伴って叔父にも少し認知症状が出て、気に入らないことがあると従姉妹に殴りかかるようになったらしい。
叔母には相変わらず、ご飯を作り食べさせる優しい人だったようだが、従姉妹が行き何かを言う
と急に怒り出して殴りかかるようになっていたらしい。
その叔父も認知が進み病気になり自分のこともおぼつかなくなり、独身者である従姉妹は両親と一緒に暮らし介護するようになった。
叔母は既に一年前に医師から、もう手の施しようがないと言われていたが、入退院を繰り返しながらも一年生きた。
叔母にしてみたら、娘と血のつながらない伴侶を1人残して先に逝くことはできない、という思いがあったのかもしれない。
父親と言えど、中学生頃から高校を卒業して家を出るまでの数年を一緒に暮らし、また介護のために3年ほど一緒に暮らした血のつながらない父親。
さらに認知が進み、昔の温和な面影を失くし自分に食ってかかり、時には手を上げるようになった血のつながらない父親の介護をこれから一人でしていかなければならないことに、従姉妹はとても不安を感じていた。
「血のつながらないお父さんを最後まで自分一人で介護していけるだろうか。」
電話してきて何度もそんなことを言っていた。
「今自分にとってどうであれ、私達が子供の頃は毎日毎日あんなに怯えて生きていたおばちゃんが、叔父さんと再婚してからはずっと本当に幸せそうだったよね。最後までおじさんはおばちゃんには本当に優しかった。おばちゃんはいつもニコニコしてたよね。もう嫌だ!と思った時にはそのことに対する感謝の気持ちを少しだけ思い出してみて。」と言うと従姉妹は
「何か今、お母さんにそう言われたような気がした!!わかったよ、頑張ってみる。」
そう言って電話を切った。
他人事だからわかったようなことを言えたが、これが自分だったらどんなに不安だろうと従姉妹の心に想いを馳せた。
介護は血がつながっていても大変なこと。
母と兄の介護を何年もした私にはよくわかる。
と言っても兄の介護は兄嫁と二人だったからまだ話し合いながら何とか頑張れたのだけど。
でも、疲れ果てて何度も逃げ出したくなることがあった。
イライラして当たってしまい自己嫌悪に陥ることもあった。
本当は介護される側の方が何倍も辛いはずなのに、自分の時間が全く持てず、心に余裕がなくて、いつ終わるともわからない毎日にうんざりすることもあった。
(こう書くとひどい人間だなと思ってしまうけど、当時はまだもっと若かったし、それが正直な気持ちだった)
そんなことを思い出しながら、ちょっとだけ頑張れ、としか言えなかった。
私が物心ついたときには、すでに私には父親がいなかった。
でも母は、子供たちのために再婚は考えていない、といつも言っていた。
母はとても美しい人だったから、再婚を勧める人は多かったけど、最後まで母は一人で私達を育ててくれた。
その時、もしも母が再婚していたら、私も血のつながらない父親の介護をすることになっていたかもしれない。
(もちろん、だから良かった、と言う意味ではありません)
ただ、再婚していれば、母はもっと楽に幸せに生きられたのかもしれない。
もしかしたら、もう少し長く生きられたかもしれない。
そんなことも思いつつ、いつもニコニコしていて幸せそうだった叔母の顔が思い浮かびました。
人生とは、何を選択するかで大きく変わるものです。
でも何を選択したとしても、正しい、間違いはなく、その時のその選択がきっとベストなのだと思います。
ガジュマルがたくさん新芽を出してきました。
逞しいね。
この子達に見習うところ満載。