私の夫は人の気持ちがわかりません。

人の表面的な表情しか読み取れません。

人の心を理解することもない。

理解しようと努力することもありません。


そもそも人が何を言わんとしているのかも理解できない。

どんなに一生懸命に話しても理解ができません。

と言うより、聞いていないのかもしれません。

聞こうと思っても頭が拒絶反応を起こし、ただ右から左へ聞き流してしまうのかもしれません。


なぜそうなるのかはわかりませんが、そんな風に思えます。


自分が何をどのようにして人を苦しめてきたのかもわかりません。

と言うより、人にしてきたこと、言ってきたことは遠い記憶の彼方に追いやり、自分が一生懸命やってきたことだけを記憶の前面に留め評価しているようです。


勉強ができないわけでもない、仕事ができないわけでもない、お金を稼ぐ能力がないわけでもない。


こちらが理解をしようとどんなに頑張っても、どうしても理解しがたい人です。




それでもどうしても憎みきれないのは、私がお願いしたことは喜んで快く一生懸命やってくれること。


私のために何かをしたいという想いを感じさせること。


そして「ありがとう」と言うと嬉しそうな顔をすること。


少しばかりは贖罪の気持ちがあるのかもしれない、と思ってしまう。

娘や息子には、まだわからないのか、甘いわ、と叱られそうだけど…


なぜか今は、仕方のない子供に対する母親のような気持ちになっている。

母親ではないけども…



でも、いつまでも怒ったり憎んだりして残りの人生を過ごしていくよりずっといいよね?と思う。


今はもう、他に女がいようがいまいがどっちでもいいかなぁと思いはじめている。


不機嫌をアピールされれば当然不愉快にはなるし、つい気を遣ってしまいそうだけど、もうそんなこともどっちでもいいかなぁと思う。

そのどっちでもいい、は、私自身が気を遣っても遣わなくてもどっちでもいいという自分に対するどっちでもいい、かな。


夫も自由、私も自由。


そう思ったら、お互い、何でも、どっちでもいいと思える。


心が解き放たれたように自由を感じる。




私の夫のような人は世の中に一定数いると思われます。

おそらく、こちらが理解できないように、あちらも理解ができないでしょう。


もちろん、人を傷つけたり苦しめることは絶対にしてはいけないことです。

でも、そんなふうにしか生きられないことがとても不幸でかわいそうに思えてなりません。


だから私は簡単に夫との縁を切ることができないのでしょう。



私は本物のバカかもしれない。

でも、そんなバカな自分も、どっちでもいいよと言ってやるんです。