ある人がブログでおすすめされていたので読んでみました。

うちのこと?私のことを言ってるの?
そんな風に思いました。

そして私は、気づかないうちに心を蝕まれていたのだということを知りました。


自己否定感、無価値感、罪悪感、虚無感、得も言われれぬ焦燥感。

いつも息苦しく、のびのびと自由に生きられなかった理由がわかった気がしました。


私はずっと考えていた。

人間とは。
人生とは。
生きるとは。
愛とは。
夫婦とは。

いつも夫は私が何を言っても、バカだ、と言って鼻で笑っていた。
だから私は次第に夫の前では無口になっていった。

なぜ何も分かり合えないのか。
なぜ夫は何も理解しないのか…
やはり私がおかしいのだろうか…


そんな風に思ってきました。



姑は、当然のことながら夫に輪をかけていました。

人の心など持ち合わせていない。

さらに夫より、何も人のことは理解のできない人でした。


私は姑からの執拗で陰湿、巧妙なモラハラに、毎日生きているのが辛く,何度子供達を道連れに死のうと思ったかしれません。


昼間は姑から。

そして夜は夫からのモラハラにずっと苦しめられてきたのです。


でも私は、姑や夫の生態、自分の感情すらも何もわからなくなっていました。


ただただ息苦しさと不自由感に腹を立てたり、自分の無力さを嘆いて生きていたのです。

40年間も。



今思えば、夫の若い愛人からの電話は、私にとってはあながち悪いことばかりではなかったと言うことです。


しかしその時の私は、自分が何に苦しんできたのかもはっきりわからず、夫の愛情が自分に向いていなかったことがこれほどまでにショックだったんだ、と思っていたのです。



でも、夫にはたぶん「他者に対する愛」という概念がないのだと思うのです。

つまり、愛人に対してもおそらくは同じだと思われます。


夫が愛しているのは自分だけだから…



全て正確に言語化されたものを読んだことにより、私の中で深く腑に落ち、今は冷静に夫を見ることができるようになりました。




そしてその上で今思うことは、不思議と、そんな生き方しかできない夫が可哀想でならないのです。

あれほどまでに恐れ、私自身が何を感じているのか、自分はそもそもどんな人間だったのかすらもわからなくなっていたのに。


今でも、私自身がそもそもどんな人間だったのか思い出せないことに変わりはありません。

それほど長く、そんな結婚生活を送ってきたと言うことです。


夫と今後どう関わっていくのか、別れが来るのかこないのか今は何もわかりませんが、私のすることは、自分の心を守っていくことだけでしょう。




不思議なもので、悪魔のような姑も、愛もわからない夫も、本当に嬉しそうな顔で笑っていた時が思い出されます。


人は誰しも産まれた時は真っさらだったはず。

それが生きていくうちにどんどん歪んでいくのですよね。

その歪みはおそらく連鎖していくのです。

だから、私は私自身と子供達の心も守っていく必要があるのです。



姑や夫のことを肯定することはできませんが、なぜか今は、可哀想だと思う気持ちがとても強いのです。




私は私の人生を諦めたわけではありません。


これからを力強く生きていこうと思う気持ちに変わりはありません。


ただ、やはり心のリハビリは必要なようです。

何しろ気づかないうちに心が壊れていたのですから。

少しづつ自分自身を肯定し、自分を励まし、新しい世界に足を踏み入れていきたい、と決意を新たにしました。


それほど残された人生は長くない。

少しの時間も無駄にすることはできません。