今年に入って私の一家は災難続きです。

こんな時『日頃の行いが悪いからだ』という人もいるでしょうが

本当にそうでしょうか?

年末には祖母の命日でもあったので仏壇とお墓に手を合わせに行き
年始にはご近所の神社で去年のお礼を伝えに行き

何とか義実家のご挨拶も穏便に済ませ

やれやれ。これから通常運転が始まろうとしたとき

12歳8カ月の老犬のウッディが突然意識を失い緊急手術となった。

脾臓にあった腫瘍が破裂していた。

破裂した代償は大きく、約2週間入院をした。

今日退院したけれど、現在自分で起き上がることはできるが、歩くことが出来ない。

※退院後のウッディくん。


その間に主人がコロナの陽性。続けて私も高熱、おそらく陽性。

ようやく自宅待機が解除され明日から通常通りっていう時に、息子が陽性。

自宅待機の期間が更に1週間伸びました。

これ本当に日頃の行いが悪いからでしょうか?

コロナに関しては、基礎疾患があろうがなかろうが、免疫力があろうがなかろうが、今の感染力はすごいようで、今まで感染していなかった人たちも次々感染したと耳にするようになりました。

ウッディに関してもずっと定期的に経過観察中だったので、診察した二日後に破裂というのは予想できなかったし仕方なかったと言われました。

『何でこんなに災難が重なるの?!』の行きついたことが

≪生きてるといろいろある。それが重なるときは重なる。≫

ということ。

充実した毎日を生きることだけが生きるということではない。

人生が辛いのは『あきらめられない』証であり、くじけそうなのは『進もう』としている証。

生きづらさを感じることは『生きている』証であり、こうした苦しみを知っているからこそ求めるものに出遭えた充実感を存分に味わうことが出来るのある。

今はしんどい時期かもしれない。

けれどそれも噛みしめて生きているときっとまた報われる日が来るのです。

立ち止まっているとこれから先の道も見えないものですが、少しでも前に進むといつか道は見えてくるものです。

生きている証を味わいながら。

今日は青空が綺麗だなとか
ウッディが大きな呼吸をしながら眠っているなとか
おいしいものを食べたいなとか
おいしいコーヒーを飲もう

そんなささやかな事でも噛みしめると味わい深かったりするものです。

今日も生きている。生かされている。

ありがとう。って思える私は結局幸せなのかもしれません。