土方央子(ひじかたひろこ)です。
 
 
 
今日はちょっと重めのお話。

実家の母は約10年前に脳の
病気を発症し、手術で治しました。
その当時、私は北京に住んでおり、
母の手術はおろか、病気だったと
いうことも後から知りました。
 
 
 
「今日、無事手術が終わったけん
お前に電話したんや。」と父が電話を
掛けてきた、あの瞬間は今も忘れません。
 
 
 
あぁ、、、
遠く海外に住んでいる末娘には
心配させてはならぬと、、、
 
父が1番心細かっただろうに
そんな時にそばにいられなかった。
お医者さんの話や、入院の準備、
家のこと、全部父1人にやらせて
しまった、、、
 
 
電話口で泣けて泣けて仕方
ありませんでした。
 
 


私は3人兄妹なのですが、
ちょうどその時兄も海外赴任で
日本におらず、父は姉に相談
しながら色々なことを進めて
いたそうです。
姉には感謝してもしきれません。
 
 
 
 
母の手術は無事成功し、様子を
見ながら日常生活に戻りましたが、
いつまた発作が起きるかもわから
ないので、車の運転は禁止となり、
責任のある仕事(地域のお世話役
など)からは退きました。

 


田舎で車の運転ができない、
というのはかなり致命的です。
会社員時代から常に自分の足
として使っていた車を失うのは、
かなりの喪失感だったと思います。
 
 

 
そんな母、数年前からだんだんと
出来ていたことが出来なくなり、
物忘れが目立つようになってきました。


年に数回の帰省時に会うと、
「あれ?こんなこと言う人だったかな?」
とちょっとした違和感を感じることも
ありました。
 



 
だんだんと脳の機能が低下して
きていたのです。

そんな母の世話を、父は
「子どもには迷惑はかけられん」
と言って1人でやっています。
 
 
 
買い物も、母の用事も常に一緒に
動いて済ませているそうです。
 
 

北京のあの時同様、私は何も
してあげられない。
今も父1人に全部やらせて
しまっている。
 
 


 
実は一時「こっちに来ない?」と
打診したことがありました。
 
 

私たち兄妹3人とも東京暮らし。
兄の家に同居、とは言わずとも
私の家のそばに引っ越してきて
老後を過ごさないか、と。
 
 

 
・・・・答えは「No」。
住み慣れた土地で最後まで
過ごしたい、と。
 
 
 

それを聞いて
本人が過ごしたい場所で
過ごしてもらうことが1番いい
のだと納得しました。
こっちに来てほしい、というのは
私のエゴだったのかもしれない。
 
 
 

それからは、離れて暮らして
いても出来ることを私たちなりに
精一杯やろう、と姉とも話して
今に至ります。
 
 
ですが、
昨年、今年とコロナで
実家帰省ができていません。


地方の高齢者にとって
「東京で暮らしている人間」
というのは、思っている以上に
脅威に感じるだろうと思います。
 
でも本音は
帰りたい。


 
当たり前やん。
 
 
 
 
会いたいですよ。

もしかしたらもう母は
私の顔や私の事、覚えて
ないかもしれない。。
 

 
そんな風に思ってしまうと
どんどん深みにはまっていく
のでなるべく考えないように、

帰る時は何を買って帰ってあげようか
何が食べたいかな、何を作ってあげようか
 
 
そういうことを考えています。
 
 
 
 
春休み、やはり帰省は
出来ませんでした。
夏休みは、夏休みこそは、
と思っていますが、、、、、
 
 

どうでしょうか。。



 
 
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