タイトルは重いですが、内容は実際に体験したことを書き留めます。

移動のバスの中で🚌アフリカの黒人の方達が受けた、差別について

添乗員さんがお話ししてくれました。

 

15世紀にポルトガル🇵🇹が来てから、奴隷としての黒人の生活が始まり、

19世紀のイギリス🇬🇧統治下まで続き、アメリカに

船で送られたそうです。

 

探検家のイギリス人のリビングストンがアフリカの発展

の為にと作った道路は奴隷搬送の為の幹線道路として使われて、益々多くの

アフリカ人が送られてしまうという、皮肉な結果になってしまったそうです。

この方はビクトリアフォールも発見してといっても、西洋人としてですが

滝の近くに全身ブロンズ像が有ります。

 

 マンデラ元大統領が政権を握ってからは、アパルトヘイトも廃止されましたが

それで、差別や貧困は無くなったと言うわけではありません。

 最初に私が見たのは、入国管理官の黒人が、添乗員さんが日本人団体が並んで

居るから白人の方に、違う列に行ってと言うのを見たら、添乗員さんがパスポート

を出すと、その係員は大きい声で何やら差別的な言葉を投げかけ、渡したパスポ

ートを投げつけると、俺はやらない、他に行けと横柄な態度を取りました。

自分たちが受けた仕打ちからしたら、こんんなことぐらい、誰にしても良いという

態度でした。

 

 私は先に進んで、税関の係官が白人の杖をついた夫婦にトランクに何が入っている

と質問していたので、通り過ぎようとすると、待てと言われお前も調べると言って

パスポートを取り上げて、返してくれません。しばらくして、こっちへ来いと言われ

奥の部屋に連れて行かれました。たった一人の税関係員の黒人が気まぐれで仕事をし

ている為長蛇の列そこで足留めをさせられる飛行機の時間がない私たちは、怒鳴る

白人や黒人外国人でごった返すも知らんふりで、自分の主張しか通しません。

 

結局私ともう1人の日本人と白人の老夫婦は、トランクの集積場へ行かされ、

ただ、トランクを開けろと言われて、次は閉めろと言われ、事は終了、犠に

されただけ、戻って先程の税関職員がいた場所は机だけ、あの偉そうにしていた

黒人は何処にもいないでもぬけの殻、そこを通り過ぎる人達はさっきの大混乱

など、何も知らずにスイスイと通り過ぎてゆきます。

 

 万事がこんなです、歴史の出来事を盾にいつまでも、こんな状況が続きそうです

日本も隣国や大陸の大国にこんな事ばかりされてますよね!

 

 

 この方が意地悪された添乗員さんです。

向こうの黒人顔が険しいでしょう、足元に有るのがバオバブの木の実🌰です。

 添乗員さんが1💲で木のみを買い食べさせてくれました。チョット酸っぱい

乾いたお菓子みたいで、現地の人は水でジュースにして飲むそうです。

 

 私が写メしようとすると、コラっ!ワレカネよこせや1$ダセヤ!みたいに

猛烈に怒鳴りまくって来ました。そんな言い方しないでも、ちゃんと話して

くれればお支払いしますよ。

 

 こんな体験ばかりしてるとなんか現地の人に不信感を抱きますが、観光で

接する方はフレンドリーな方が多いです。

 

 こんな事が日常的に起こっても、南部アフリカの旅は、そんな事

ちっぽけな事だよ、気にするな、感動の方が遥かに大きいですよと!

それも、短期間だから、そう感じるのかもしれません