マチュピチュと言えば、アメリカ人には特に大人気の南米の遺跡ですが、日本の方もたくさんの方が行かれていて、憧れの遺跡ですよね!私の友人も20数年前に新婚旅行で行ったのですが、奥さんは途中のクスコで高山病症状が出て、あそこまでいきながら、諦めたそうです。私もいつかは行きたいと思っていましたが、数年前に行く事にしました。

 その理由の一つが、旅行仲間の方々からよく言われる、「マチュピチュマウント」でした。他愛のない事ですが、どこに行っても、ある一部の方が、「アラっアナタまだ行ったこと無いのダメよ行かなきゃ、最高よ!ねえ、皆さん」かくして私は遠い日本の裏側とか言われるペルーに向かうのでした。ニューヨーク経由でペルーの首都リマまで、朝家を出てから、28時間以上、流石にこんな長旅は人生で初めてでした。

 リマに着いて、マチュピチュへは翌日の午前中のフライトだったと思います。空港に着いてビックリしたのは、アナウンスで本日セキュリティーチェックの機械が故障して捌ききれないという事でした。空港は外まで人が溢れていました。添乗員さんは40前後の男の方でしたが、3時間以上時間があるから大丈夫ですと大見栄を切っていました。ですが1時間並んでいても埒が開かず、一緒の団体仲間も段々と散り散りに、そこで彼はセキュリティの先に私が先に出て待っていますから、皆さんゲートを出たら一緒に待っていてくださいと言い残し、私は先に行って待っていますの、力強いお言葉をお掛けになり、人混みの中に消えていきました。

 私も2時間近く揉みくちゃになりながらも、要領良く進んだと思いましたが、既に出発時間の5分前でまだ通過出来ませんでした。空港の搭乗掲示板にはクスコ行きがもう直ぐ締切になりそうで点滅していました。

 

それから10分位して、出発時刻表示を見ると、私達のフライトは削除されてその次とかのフライトが表示され出しました。私はあら、残念ながら乗り遅れてしまい、今日はもうマウントされ続けた、憧れのマチュピチュにはもう行け無いと!案の定セキュリティの先には添乗員はおろか、日本の方々は誰も居ませんでした。仕方がありません、混んでいたとはいえ時刻は40分は過ぎていましたから、置いていかれたのかと思い搭乗口が近かったので、念の為そこに1人寂しく向かう自分がいました。搭乗口に行って係員に日本人の団体はもう行きましたか?と尋ねると、まだ誰も来ていないし、30人近くの人が来ないので出発は遅らせて待っているから、あなたはすぐに乗れと言われましたが、待っていてください、日本の仲間がまだ居るから、連れてくると言ってセキュリティにまた戻りました。係員が探している様で途中で出会った5、6人の女性の方を連れて行ってくれました。待合せ場所の近くに行くと添乗員が血相を変えて私に近づいて来て、開口一番「何勝手な事をやってるんだ!すぐ待ち合わせ場所に戻れ」と怒鳴り散らしました。私は搭乗ゲートに行って事情を説明して待っててくださいとお願いしたと言いましたが、彼は聴く耳を持ちませんでした。

 私は残念だけど乗れなくてもしょうがないなと諦めて、団体の方が出て来るのをそれから30分くらい皆さんと待っていました。添乗員が帰って来て皆で搭乗カウンターの近くに行くと、先に現地の航空会社の係員に連れて行かれた方達が「あら、良かった」と言って待っていました。

 ここである添乗員の爆弾が破裂しました。「アンタら何やってんだよ!こんな奴らは初めてだ私の言う事を聞け!」と言って大声で手に持っていたファイルとカバンをコンクリートの床に投げつけました。

 この行為に私は口をアングリ、現地の方々も目を丸くして日本人のサムライ添乗員を見ていました。私はハラキリでもさせられそうな気分でした。

 その後慌ただしく飛行機に乗り込み私は皆さん憧れのマチュピチュへと機上の人となるのでした。第一部はここまでです。旅は楽しいよね。いや楽しく行きたいよね!

オリャイタンタンボから列車でマチュピチュ🚃

マチュピチュ!とうとうやって来ました。