父のことを書くのは
正直エネルギーを使う。

でも、これも自分の消化になると思い
残したいと思う。


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兄は父のことを軽蔑していた(と思う)。

兄はいつも、
色々なことを親のせいにしていた。

父の話になると、すぐ
「どうしてこんなに計画性がないのか」
「口だけ立派で人に迷惑をかけてばかり」
「普通じゃない。頭がおかしい。」
と、軽蔑する言葉が止まることがありません。

それも、分かりやすく文句を言うのではなく、
ごもっともであるのかのように言うので

それを、「そうだね」と聞いていると
わたしたちも参ってきてしまいます。

しかし、兄にこっそり
「親を恨んでいるの?」と聞けば
「恨んでいないよ」と平然と言うので
その先から話が進むこともなく、無念です。

恨んでいなければ、そんな言葉が
出ることはないことを知っているからです。

そこで「うん」という素直な返事が出来なければ、彼を癒すことなど、わたしにはとうていできません。

兄は、親を恨むことは辞められないけれど
「親を恨むことは惨めだ」ということだけどは
分かっているのでしょう。

だから、「親を恨んでなんていない」と
自分に決めつけているのです。

そんな兄は、
「俺は、親父が死んでも泣けないな。
というか、涙なんて出ないよね。」
と、ずっと前から言っていました。

わたしはその言葉に寂しさを感じました。

涙を流せないことが悲しいのではないのです。

それを、死んでもいない今、
言葉にしたくなる程の父を拒絶する感情と、
そう思いたいと思う程の兄の幼稚さに、

彼は苦しいのだろう、と思ったから。

「もっと父親らしいことをして欲しかったし、
もっと威厳のある姿を見たかったし、
もっと尊敬できるような父であって欲しかった、

父は、情けない。頼れない。
そんな父の元に産まれたから
俺はこんなに苦労をしているし、
本来貰うべきものを貰えていないのかもしれない。」

そんなことを思っているのだろうと、思った。

借金まみれで仕事も(社会から見れば)ろくにできなかった親に
一切の恨みを持たないわたしからすると、

兄の憎しみには共感はできなかったけれど
兄弟としてその感情に酷く理解はできた。

そんな父も、兄も、
まぎれもなく、わたしの家族だった。


そしてそれは、わたしの選んだ人生だった。



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兄に危篤の知らせをすると
「俺も行った方がいいの?」と聞くので

(この時点で、兄がいかに
頼りがいがないかが分かるのだけれど
これは毎度のことなので、
母妹は全く気にしない。)

以前なら「来てくれる?」と
お願いをしていたけれど、

母もわたしも「来たいならどうぞ!」
というスタンスだった。

父のことだけでも精神擦り減っているのに
甘えた兄の精神ケアまでする気力はない
と、思っていたのかもしれない。


わたしは、
絶対に死に目に会っておいた方がいい。
それは、兄のためになるから。

と、思っていたのだけれど、
決して口にはしなかった。

それもこれも全て兄が決めることで、
これから襲いかかる課題さえ
兄のものであったから
それをわたしが邪魔をしてはいけない。

兄が有給を取り帰省することになり
夜に車で迎えに行くと

「俺、親父を見ても何も思わないかも。
泣けないと思う。」
と、後部座席から、また同じセリフを
言っていた。

それが有言実行されるかどうかなど
わたしにはどうでもよくて、

とにかく、

あなたの父親の変わり果てた姿を
あなたは自分の目で見た方がいい。

それは、必ずあなたのためになるなら。
とにかく黙って、見舞いに行きなさい。

と、心の中で思っていた。


家に着いたあとも
「どうして、いい歳して
葬式の用意とかしてないんだろうね?
そういうこと考えない?」

と、始まった。

「じゃあ、お兄ちゃんならどうするの?」
と聞けば

「俺なら、お金を用意するし
そういうことも考えておくよ。」
と言うので

「でも、事故死や病死もあるし、
予期せぬ死もたくさんあるよ。
ほとんどの人が、自分の死の準備を
完璧にして死ねないんじゃないかな?」
と言ってしまった。

そんなことが真実かどうかより、
父の死に際に、よくそんな言葉が出るなぁ
と、感心してしまったのだと思う。

それは、兄の幼稚さでもあるが、
想像力のなさであり、もっと言えば
想像することを拒否するエゴが
垣間見えた瞬間だった。

だから、それ以上何も言わなかった。

他人のエゴと対話しても何も生産をなさない。


わたしが何かを言わずとも
父に会えば全てが分かる、
と思っていた。



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翌日、予定通り父の病院へ言って
父の様子を見てきた。

母とわたしは一度父の様子を見ているので、
兄はどんなことを思うかな、と
心配のような、好奇心のような気持ちがあった。

病室へ入ると、
昨日と違い父はベッドへ寝かされていたが、
やはり前日と同じように
ゾンビのように身体中を動かして、
目が逝っていて、舌を何度も出していた。

そして、前日より身体が汚れていた。

きっと、家族でなければ
見るに堪えない姿でしょう。


わたしは近付いて
「おとうさん!お兄ちゃんが来たよ!」
と、言った。

兄は少々狼狽えたのか、
(でもそれを家族に見せないようにしていたのか)

「おとうさん、来たよ」と一言だけ。

離婚寸前だった母も、
そんなに悲しいと思えないと口では言っていて
わたしほどは近付くことはなかった。

(それでも母は一番疲れているのだろうと思う。)


わたしがまた、身体中をさすって
「つらいね〜」などと言っていると

「みなみは優しいな!」と兄が言った。

そして、わたしの長い髪が汚れないように
髪を持ってくれた。

兄は、怖いのか、おののいたのか、
父には触れられないようだ。

すると、父が
「おにいちゃん」とうめきながら言った。

(もしかしたら、わたししか聞こえなかったのかもしれない。)

「あ、お兄ちゃんだって!
分かったの?」とわたしが言うと

父はまた、涙を流していた。

それを見て、わたしもまた、泣いてしまった。

その度に、
「父はなんで泣いているのだろう」と思った。

無念に思うから?自分が情けないから?
会えて嬉しいから?来てくれて幸せだから?

でも、それももう聞くことはできない。

ただ、父の涙と共鳴してしまう。

その涙に魂の美しさが見えた。


そんなことを思っていると、
後ろから、それは確かに、
誰かのしゃくり泣く声が聞こえたので
びっくりして後ろを向くと

兄がハンカチで顔を覆って
号泣していた。

それを見て、わたしもポロポロと
涙が溢れてきてしまった。

今思えば、そんな兄のことも
さすってあげればよかった、と思った。

でも、彼は一人でその不安定な感情に
立ち向かわなければ意味が無いから、
それでよかったのだと、後に思った。

その場で、母もわたしも、兄も泣いていた。
そして、父も泣いていた。

あぁ、家族だ。
と思った。

愛し合っているのかは分からない。
そんなことより、
その人を見て自分の人生を思いふけ
泣けること。
それが、家族だ。


そうして、兄が
「父さん、よく頑張ってくれたね。
父さんも、大変だったよね。
ありがとう。」
と、泣きながら、言っていた。

それは絶対的に、本心なのだろうと分かった。

そうして、兄は
まだ汚れていない父の背中を
少しだけさすってあげていた。

兄のエゴが一瞬でも消えた瞬間だった。

よかったよかった、と、また思った。

泣けてよかった。
泣いた方がいい。

きっとみんな、なんで泣いているのかさえ
分からないのでしょう。

こんなにお金をかけられて
こんなに迷惑をかけられて
こんなに心配をかけられて
こんなに傷つけられて

大人になってから、
父親にもらったものなど
指で数えられるほどないかもしれない。

それでも、色々な気持ちが溢れてくる。

惨めで、情けなくて、可哀想で仕方がなくて
悔しくて、愛しくて、そして感謝している。

そんな涙が溢れてくる。

それはまぎれもなく、
今まで生きてきた時間で作られた涙だった。

走馬灯のように父との思い出が頭をよぎる。

そして、
悲しかった自分が癒される。
惨めだった自分が癒される。


それは、癒しの涙だと知った。



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お父さん、人生で最大の仕事をこなしたね。

それは、あなたの家族(強いては息子)に
こんな涙を流させることだよ。

あなたを見て、今とても
命の尊さと、生きることへの尊さと
そして、死ぬことへの尊さを
同時に感じている。

そして、命がこんなに愛しい、と思う。

それは、あなたにしか出来ない仕事。

最期だけでも、仕事を全うして、死になさい。

あなたの家族であるわたしたちも、
自分の仕事を全うして、生きてゆくから。

安心して、いきさない。