わたしが
心理カウンセラーの学校へ通っている時
同期からこんなことを言われました。
 
「いつもあなたのブログ読んでるけど
よくあんなふうに書けるね!
わたしなら、あんなこと書けない。
 
だって、
可哀想なふりをしてた方が、色んな人に
助けてもらえるかもしれないじゃん。」
 
 
それを聞いた時は
意味が理解できなかったんです。
 
「可哀想なフリをしていた方が助けてもらえる
って、一体、どういうことだろう?」
 
 
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それから色んな人の行動を見てみたら
(自分はすごいと思いたいのにも関わらず)
 
可哀想な人を演じている人がたくさんいること
 
 
" 私は可哀想だった "
" 私は可哀想な人 "
 
彼らがいつも醸し出すオーラは、それ。
 
 
ある日わたしが、ある話の過程で
「わたしは彼氏から毎月50万円
生活費としてもらってるんだけど」
と言ったら
 
「そんなことよく言えるね!」
「頭を打たれたよ!」
 
と、たくさんの人の心を動かしました。
 
でも 、わたしにとってそれは事実なだけで、
 
事実を話すことに対して、
相手に何を思われたいなんて
思いながら話すなんて、しないのです。
 
 
相手を傷つけないように
言葉を選ぶことはするけれど
それとこれは、別です。
 
伝えたいこと、と、事実は別で
 
相手をコントロールするために
言葉を利用するなんて
わたしはするつもりは、ないのです。
 
 
 
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たしかに、
そんなことを言わなければ
もしかしたら誰かがまた
お金をくれるかもしれないし
 
可哀想なフリをしていたら
得があるかもしれません。
 
 
でも、それで
一体どこまで飛躍していけるのでしょうか?
 
 
可哀想なフリをして得た援助は必ず限界がある
と思っています。
 
その限界ラインっていうのは
「自分が可哀想でなくなった時」
 
可哀想だから助けて貰っているのだから
絶対にその人たちの前では
完全に幸せになってはいけない
のです。
 
そんなの、なんてつまらない人生なのでしょうか?
なんて窮屈で、
なんて退屈な人生なのでしょうか?
 
誰かの輪の中で、
誰かの条件やルールの中で生かされることほど
屈辱な人生はないではないですか?
 
 
 
 
わたしはもっと上を目指す!
 
 
お金のないなフリをして
食べ物を恵んでもらって
申し訳なさそうに食べるんじゃなくて、
 
高級ホテルの最上階て
愛する人と夜景を見ながら食事をするし
 
軽井沢のオーガニックレストランで
シェフから話を聞きながら
美味しいワインをいただきます。
 
 
困っているフリをして、
10万円くらい貸してもらうんじゃなくて
 
毎月100万円、自分で稼いでしまいます。
 
 
 
可哀想なフリをしてまで、
人に頼っている方が待ちくたびれちゃうから。
 
困っているフリをしてまで、
人に任せている方が信頼できない。
 
わたしは、自分の幸福な人生においては
自分が一番結果を出してくれるし
自分が一番信頼できるんだもの。
 
 
 
 
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たしかに、可哀想なフリをしても
毎月100万円くれる人もいるかもしれない。
 
でもそれは、一生続かない。
必ず期限がくる。
 
だって、人のエゴを利用しているんだもの。
 
そして、お互いに満たされることはないのだから。
 
 
 
わたしは夫さんにも、その周りの人にも
「わたし可哀想なんです」
「大変なんです」
なんて態度は一度も取ったことがありません。
 
会った時から、
わたしはいつも元気で、
楽しいことばかりしてる人でした。
 
全然困ってない!
わたしは幸せ!
って、自信満々。
 
今は、
「あなたのおかげ」
「世界一しあわせ」
これが口癖になりました。
 
「こんなに美味しいもの食べちゃった!」
 
「こんなに優しくしてもらっちゃった!」
 
「こんなに高級なもの買っちゃった!」
 
「たくさん可愛いって言われちゃった!」
 
ずっと笑顔が止まりません。
 
 
 
それでも、
溢れるように捧げてくれるから
これが無限の援助だと確信しています。
 
 
無限の援助は、限界がないから
宇宙まで飛んでいきます。
 
無限の援助は、条件がないから
銀河まで広がります。
 
 
 
わたしは、
そんな小さな世界で生きていない。
 
わたしの見ている未来は、
もっと大きくて、もっと裕福で
もっと平和で、もっと輝いているんだ!
 
 
そう思っているから。
 
 
 
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命綱のための"可哀想なフリ"なんていらない。
 
 
豪邸を何棟も建てて、
お小遣いだけで100万円以上使えて、
毎月のように海外旅行に行けて、
好きなことを好きなようにできて、
何にも困らないわたしになるために、
 
演技をするんじゃなくて、
本気を見せるんだ。
 
本気で生きている人には誰も勝てない。
本気で生きると決めた人に会うと
誰もが圧倒する。
その本気に、お金を払いたい人がいる。
 
だって、本気になれる人は
ほんとうに少ないから。
 
本気とは、美しさであり、芸術だから。
 
 
わたしはいつも本気を見せる。
すべての人に本気を見せる。
 
本気の人しかここに残らないように、
本気の人と、本気で人生を挑めるように、
まずわたしが本気を見せるんだ。