人間の一生 | 元宇宙工学者が語る「心の宇宙」工学by CoCoRo和ぁるど

人間の一生

自分の人生を振り返ってみます。

小さいときから今までの人生です。

 

いかに自分が愛されたかったか、

愛されたいがために、今まで生きてきたか。

 

それだけではありません。

無条件に愛されたかったんです。

ありのままの自分を

愛して欲しかったんです。


 

生まれたばかりの頃、

小さな赤ちゃんの頃は、

それが得られました。

 

泣いても愛され、

笑っても愛され、

いたずらしても愛され、

上手にできたら愛され、

下手なことしても愛され、

 

ウンチをちびっても、

オシッコをちびっても、

 

何をしても愛されました。

無条件に愛が注がれました。

笑顔を注がれました。

注目されました。




それが、あるときから激変しました。


「ただし書き」がつけられます。

つまり、

ある振る舞いをしないと愛されません。

上手にできないと愛されません。


それどころか、泣いたら、しかられました。

やんちゃ言ったら、叩かれました。

ダダをこねたら、無視されました。

わがまま言ったら、怒鳴られました。

失敗したら、「お前は、駄目な子だ」と言われました。


でも本当の本当は、

泣いても、やんちゃ言っても、

ダダをこねても、失敗しても

それでも愛してもらいたかったんです。


どんな自分でも、

抱き寄せてもらいたかったんです。

どんなに駄目な自分でも、

全部ゆるしてもらいたかったんです。


そんな無条件の愛、無償の愛を人生かけて、

一生求め続けます。


最初は、親からそれを求めました。

いつも自分のことを大切にして欲しかった。

そのままの自分を愛して欲しかった。

そればかりか、

自分だけを愛して欲しかった。

自分だけに愛を注いで欲しかった。


しかし、それは叶いませんでした。

兄弟がいれば、彼らに親の愛を持って行かれます。


次には、学校の先生から無償の愛を期待します。

自分をそのまま愛して欲しかった。

しかも、自分だけを愛して欲しかった。

先生の愛を独占したかったんです。

しかし、それもまた叶いません。


次には、友人や恋人から無償の愛を期待します。

いっしょに一緒に笑い、一緒に泣いてくれる。

自分のことをすべて受け入れてくれ、

分かってくれる存在を求めました。

しかし、それもまた叶いません。


結婚して、妻や夫から、無償の愛を求めます。

自分の価値を認めてくれ、

悩んだときときは慰めてくれ、

がんばったときは感謝してくれ、

苦しみも一緒に乗り越えてくれる、


そんな無条件の愛を注いでくれる

相手だと思って結婚しました。

どんなときも「おまえの全部が好きだ」

と言ってもらいたかったんです。

しかし、それもまた叶いません。


そして仕方なく、子どもから無償の愛を求めます。

だから一生懸命育てます。

一生懸命、愛を注ぎます。

本当は、自分が愛されたいから。

自分が頑張っているのを認めてもらいたいから。

しかしあるときから、

子どもは、

親が愛を注いでくれて当然だという顔をし始めます。

がっかりします。

落ち込みます。


そして最後には、孫から無償の愛を求めます。

子どもにしたときより、

さらにもっと愛を注ぎます。溺愛します。

自分のことを愛してくれるだろうと大きく期待しながら。


こうして人生が終わります。

それが人生です。



人から無償の愛を求めても無理です。

なぜなら、

相手も無条件で愛されたいと思っているんです。


まるで、

物乞いが、物乞いから物乞いしているようなもの…。


人生って、虚しいですね。