和の連鎖反応 | 元宇宙工学者が語る「心の宇宙」工学by CoCoRo和ぁるど

和の連鎖反応

私は先週、早めにゴールデンウィークを取って、
紀伊半島を旅しました。

温泉で疲れをいやすとともに、
とてもたくさんの発見があり、学びがありました。

今日ご紹介したいのは、
明治23年(1890年)に起こった
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難のお話しです。

このエルトゥールル号が遭難した大島・樫野崎灯台に行ってきました。

このお話しは、私のセミナーでもよく紹介していますので、
ご存じの方もいらっしゃるかと思います。

内容は後で紹介しますが、
遭難で生き残った乗組員たちを、
島中の人たちが力を合わせて、救出し、介抱に当たりました。
非常食の鶏まで食料として提供したのです。

日本人の和の心、恕(じょ)の心が、生きていました。

そして、トルコ人も後に、
イランイラク戦争のとき、イランに残された日本人を救出してくれました。

さらには、トルコ地震の時、
そのとき救出された日本人が中心になって、募金活動を行い、
被災者への援助を行ったのです。

和の心、恕の心は、こうしてどんどんつながっていくものです。
和の連鎖反応です。
こんな“和の輪”が満ちあふれる世界になることを願っています。




エルトゥールル号遭難の話しを
ウィキペディア(Wikipedia)より、要約して掲載します。

9月16日夜半、折からの台風による強風にあおられ
紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は、
機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし沈没した。

これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする
587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。

樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が
数十メートルの断崖を這い登って灯台に遭難を知らせ、
灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野) の住民たちは、
総出で救助と生存者の介抱に当たった。

この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、
住民は浴衣などの衣類、卵や サツマイモ、
それに非常用のニワトリすら供出するなど
献身的に生存者たちの回復に努めた。

この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が
救出され生還することができた。

遭難の翌朝、
事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おきしゅう)に伝えられ、
沖は神戸港の外国領事館に援助を求めて
生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに、
県を通じて日本政府に通報した。

知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、
政府として可能な限りの援助を行うよう指示した。
各新聞は衝撃的なニュースと して伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられた。

※以下のページもご覧ください。
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm