こんばんは。

 

今日、私の住む岡山では

お昼にザーッと雨が降りました。

結構な勢いの雨でしたが、それがあがった後

とても大きな虹が空にかかったようで

残念ながら私は直接見ることはできませんでしたが

妹がインスタグラムにキレイな虹の写真を投稿していて

ほっこりした気持ちになりました。

 

こちらはイメージ画像ですが..

 

虹をみつけたよ!とか

流れ星を見たよ!など...

そんな些細なことを幸せに感じられて

そして、その気持ちを誰かと共有できたなら

より幸せに思えますね。

 

 

 

 

喪失には、いろいろな形があります。

 

私が昔から寂しいと感じる喪失に

物理的には近くに存在しているのに

その人の中にある「心」が離れていると感じる喪失があります。

 

どんなに近くに一緒にいても...

どれほどの長い時間を共に過ごしていても...

 

そこに心が伴っていなくてはその人を失ったのと同じに感じます。

 

 

 

喪失は外的対象喪失内的対象喪失

二つに大きく分けることができます。

 

 

外的対象喪失とは・・・

近親者の死、母親からの分離、離職、引っ越しなどのように

いずれも自分の心の外にある人物や環境が

実際に失われる経験です。

 

しかし、これらの外的な世界における喪失体験に比べて

最も内的なその人の心の中だけで起こる喪失があります。

それが内的対象喪失です。

 

こちらは、むしろ実際の接触や関わりが続いている当事者間の心の間で、微妙に、徐々に起こっていく喪失です。

失恋や夫婦不仲、不倫や虐待、DVやいじめなどの中で、経験する喪失です。

 

その時の心の動きとしては

お互いの間に、愛と憎しみの情が複雑に入り混じった

アンビバレンスに苦しむ体験が繰り返されます。

 

相手への愛情が深ければ深いほど...

相手のことを大切に思っていたならいたほど...

相手への依存が強ければ強いほど...

 

自分の思い入れが大きければ大きいほどに

愛情と相反する憎しみの情が沸き上がってきたり

自分の気持ちが受け入れられない強い悲しみに襲われたり

この先の未来に希望を持てなくなるほどに絶望を感じたりします。

 

 

いままで一緒に過ごしてきた月日は一体なんだったのか

あのとき語り合った言葉は嘘だったのか

今のこの人こそが本当の姿なのか

自分にどんな非があって、このようになってしまったのか

どうしていたら、この状況を避けることができたんだろうか

すべてが自分の幻想で、美化し錯覚していただけなのだろうか

 

こんな風に心が翻弄し、自問自答が止まらなくなります。

 

混乱してパニックになりながらも

自分の気持ちを落ち着かせたくて

納得いく理由を探し続けます。

 

自分が納得のいく答えが見つけられたなら

この苦しい気持ちから解放されるのではないか

 

本当は持っていたくない憎しみや怒り、悲しみを

手放すことができるのではないか

 

そんな気持ちから

必死に孤独に自問自答を繰り返すのです。

 

 

それは、外からは決して見えませんが

とても苦しいもので

体の傷に例えるなら、切り付けられた傷口から

血がたらたらと流れているような状態です。

 

それほどの状態にあるにも関わらず目には見えません。

 

 

そんな心をそのままに

一人で耐えているのはしんどいですよね。

 

一緒に癒していきましょう。

 

 

 

 

では、また。

 

 

こたにみはる