こんばんは!
*自分とのお付き合い研究所*かなえです。
「誰のおかげで生きていられると思ってる?」とことあるごとに母に言われてました。
食べるものもそう、着るものもそう、家に住めるのもそう、教育、レジャーその他いろいろなこともそう。
未成年の間は、親または養育者がいなくては生きてはいけません。
うちは母が大黒柱で、母の収入が家計を支えていたし家事も母がすべてしていたので、家の中のことはすべてと言っていいほど母が握っていました。
母は自分の収入や家事を盾にして、家族には何も言わせませんでした。母の言うことは絶対です。支離滅裂であろうがつじつまが合わなかろうがそれはどうでもよく、母の思い通りに家族を動かすことが出来ればいいのでした。
私は食べるもの、着るもの、住む家、教育もレジャーも自分が何も抵抗しないことの代わりに得ることが出来ていました。(と思っていました。)
感謝というのは土下座をして表すものだと思っていました。
なので私にとっては「受け取ること」は、「母の言いなりになること」「母に何も言わずに黙って従うこと」を意味しました。
「受け取る=屈服」という図式が私の中にありました。
だから、人から物をもらったり何かしてもらったりというのが恐ろしく、受け取らないですむ方法をいつも探していました。
先日の記事で、「握りしめているものは何だろう?」ということについて書きましたが、「受け取らないようにすること」というのも、握りしめていたなあと思います。
本当に受け取り下手です。
人から教えてもらうことも無意識に怖さを感じていて、受け取らないようにしてしまっている時もあることに最近気付きました。
全部が全部そうなのではないのですが、少しでも怖さを感じると私の中で危ないよとアラームが鳴り、受け取り拒否になってしまうようです。
もったいないことですよね。せっかく学びを得ても、それを自分のものに出来ない。
でもここまで気付けたら、あと少しで手放せるかなと思います。
変化があったらまた書きますね。
《今日のエクササイズ》
受け取ることは上手ですか?苦手ですか?
そのことに紐付いている出来事はありますか。