こんばんは!

*ACのための心のレッスン*かなえです。







先日の投稿のキーワードの「底付き体験」ってどんなことなのか、もう少し考えてみました。




〈ちゃんと失敗すること〉

失敗しそうになると逃げたり、失敗する自分と向き合わなくてもすむように中途半端なままにしておいたり。

それをちゃんと失敗してみる。私だめだなあというのをちゃんと感じる。それが底付き体験。



〈自分の解像度の甘さに気付くこと〉

自分を曖昧にしたままだったり。
曖昧にしていると楽な時もあるけれど、逆に自分がわからなかったり、何も発言出来なくて笑ってお茶をにごしていたり。

ああ私、自分のこと知らないんだなあとちゃんと認める。それが底付き体験。



〈ずっと庇わなくちゃと思っていたけど、見方が間違っていたかもと認めること〉

お母さんは弱い人。私が庇ってあげなくてはいけない。私が背負ってあげなくてはいけない。
でもそれは本当のことなの?認めちゃいけないと思ってるだけかもしれない。

それをちゃんと認める。お母さんは以外としたたかだったりする。知らないのは私だけだったりする。



〈自分が幼少期から身に付けてきた習慣や振る舞いや価値観がそろそろアップデートが必要なことを認めること〉

幼少期には自分を守るために必要な行動や知恵だったのだけれど、今の自分には合わなくなっている、自分を苦しめることもあることに気付いて認めるのも底付き体験。



〈自分はすごい人だと思いたい、特別な人でありたい、影響力を持つ人だと思いたい。でも現実はいたって普通だったことを認めること〉

特別な人じゃないと見てもらえない、すごい人影響力のある人にならないと認めてもらえない、という思いは怖さから握りしめていることもあるけれど、普通な私を一度ちゃんと見る。


「底付き体験」というのは、「現状を認める」(見止める)ことと私は捉えているようです。





では、「現状を認める」とどうなるのでしょうか?


「自分の現状を認める」と

原寸大の「私」に出会える。

これが「私」だったんだ。

「私」って、こんな人だったんだ。


ずーっっとずーっっと「私」をやってきたはずなのに初めて、「私」ってこんな人だったんだーってわかります。


「私」と繋がれる瞬間です。


「私」と繋がるって、安心そのものです。


「私」と出会うって会い(愛)です愛飛び出すハート









《今日のエクササイズ》

認め(見止め)たくないことはありますか?
見ないようにしていることはありますか?
それはどんなことでしょうか?