大阪府北部地震 | cocoronohako

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正社員として働くシングルマザーの私「みさりん」と愛息子との日常や気持ちを綴ったブログです。
2014年に発症したネフローゼ症候群(微小変化型)のことも書いています。

地震でしたね。
大阪府北部地震 という名前が付いて、
震源地は大阪府高槻市西面南だったらしいです。
(そんなに詳しくまで分かるもんなんですねー。思わずそれが何処なのか調べてしまいました。)



私自身が経験したこんなに大きな地震は、阪神淡路大震災の時以来でした。
(でもあの時は実家の京都に住んでたからな。その時は震度何を経験してたんだろ)



本当にすごい地震で、団地壊れる!ヤバイ!!!って思ったくらいでした。
住んでるのは阪神大震災後に府によって建てられてた団地のはずやから、逆に安全なはずなんだけど、地震の途中「この揺れは本気でヤバイ」と覚悟しました。


あの時間、私はたまたま食器棚の前に居て、全力で食器棚を押さえてたので食器が散乱する事もなく、
扇風機が倒れたり、折りたたみ机をタンスに立て掛けてたのが倒れてたり、棚やテーブルの上にあった軽いものが落ちてるレベルで、我が家は大きな被害もなく無事でした

食器棚と壁との間に隙間家具を入れてるのもあり、壁と食器棚を鎖とネジで固定してたのも良かったのだと思います。
(近くのママ友の家とかは軒並みゴミ屋敷レベルに大変だったそう)






ラインやメッセンジャーは本当に便利で助かりました。
グループでは変わるがわる生存確認をお互いしあい、情報の共有、励まし合い、協力、色々スムーズに出来ました。
そして地域外の友達からも、変わるがわる心配メッセージを沢山いただき、不安な時に寄り添ってもらえたのが本当に有り難かったです。




正直なとこ、震災の時間が息子が学校行く前で、一緒に居た時で良かったです。
子供とバラバラの時に震災とか不安で仕方ないやろし。


震災当日は電車も動いてなくてお仕事お休みしましたが、翌日にはお仕事も行けました。
会社は被害も何も無くて(笑)びっくりするくらいスムーズにスタートが切れました。




寝室に大きな箪笥があって、倒れてきたら瞬殺されるので、余震も考えて1日目はリビングで寝てました
ただ、余震が2〜3時間おきにあったのでほとんど寝られませんでしたが(苦笑)
2日目の夜からはもう大丈夫そうだったので、いつもの寝室で寝ました。



震災の影響でライフラインが止まってしまったので、
周りに「数日復旧あかんかも知らんから買っとき!!!」言われて買い出しに行ったら、震災当日の夕方のスーパーは、水もパンも即席麺も冷凍食品もすべて完売でした(笑)


まー、我が家はもともと冷凍庫に食材山盛りだし、水もガスボンベも数日分くらいはあったし、生鮮食品を購入して常備菜を作り、食パンはパン焼き器で焼きました。



とりあえず、ご飯10合炊いたのと、お菓子も買ってきました。
これで飢え死にすることはない(笑)

って、翌日夜にはライフラインも復旧してたので、こんなに震災当日に頑張らなくても大丈夫でした。




ってか、息子の中学校は今日・明日とテストなのですが、震災で学校が休みだったり、4時間目までだったりしたのに、テストは延期にはなりませんでした。
(塾も2日間休みだった)
興奮したのか、休みで気が緩んでしまったのか、息子が勉強を頑張ってた様子は微塵にもなく、逆に昼寝したりパソコンで遊んだりでした。
母は知らんぞむかっ








今回の震災でお亡くなりになられた方が数名いらっしゃいます。
残念ですし、悲しいです。
心からご冥福をお祈りいたします。