なぜかプリティウーマン
最近、Facebookを見ていると
やたらと同じ映画の切り抜き動画が流れてきます。
『プリティーウーマン』。
大好きな映画です。
公開当時、私はアメリカに留学していて、
友達と映画館で観ました。
DVDも持っているし、何度も観てきた作品。
でも、今朝ふと気づいたんです。
「あれ、私、なんでこんなに
この映画が好きなんだろう?」って。
当時は、ただのシンデレラストーリー
だと思っていました。
身分差を超えた恋、ハッピーエンド。
わかりやすい“夢の物語”。
画像はネット検索からお借りしました。
惹かれた理由
でも、今流れてきたワンシーンを見て、
胸の奥が静かに反応しました。
それは、
娼婦と雇い主という、
どう考えても力関係が偏りやすい関係なのに——
引かない。
強く押さない。
支配しない。
奪わない。
でも、一緒にいることで、
お互いが満ちて、広がっていく。
「ああ、これだ」
私は、ここに惹かれていたんだと、
今になってわかったんです。
私の本質
当時の私は、
自分に意識的だったわけじゃありません。
ただ、「なぜか好き」
「理由は説明できないけど惹かれる」
そんな感覚で受け取っていただけ。
でも思えばそれって、
社会性も、理屈も、自己啓発も通っていない
いちばん素直なわたしのセンサーだった。
同じように、
「なぜか落ち着く服」
「説明できないけど苦手なもの」
そういう反応も、全部そう。
後から
「それは浅いかな」
「ちゃんとした理由が言えないのは未熟かな」
そんなふうに、理性で上書きしてきただけで。
好きだったものも、
嫌悪感を覚えたものも、
間違いなく、わたしの本質につながっていた。
自分に意識的であること
最近よく思います。
自分に意識的であることって、
新しい何かを足すことじゃない。
ずっと前から反応していた自分を、
信じ直すことなんだなって。
理由がなくてもいい。
言葉にできなくてもいい。
「私は、これが好きだった」
「私は、これが無理だった」
その記憶を、
今の自分が迎えに行くだけで、
人生は静かに、でも確実に整い始める。
あの頃の私が惹かれていた関係性は、
憧れでも、夢でもなく、
「私はこれを知っていた」という記憶だった。
引かず、押さず、
一緒にいることで、互いが広がる関係。
それはもう、映画の中の話じゃない。
今の私は、それを選べる場所に立っている。
昔から「なぜか好きだったもの」。
そこには、
ちゃんと、わたしがいたんだと思います。
理由のない「好き」は、
魂からのサインだったのかもしれません。
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