時々思う。

大人が子どもたちの可能性を封じ込めてしまっていないかと。


できないことを探して、

できない理由を探して、

その可能性の芽を知らず知らず摘んでしまっているのではないかと。


でもそれは、その人たちがどうのとかでもないし、

誰が悪いとか、そういうことでもない。


わたし自身も無意識のうちに、

そうしてしまってることがあるのかもしれない。



この間、出かけた先で、

わたしは悔し涙を流した。


涙って、泣こうとして流すものでもなくて、

こんな感情が、自分の中にまだあったことを冷静なわたしがくもの上から眺めていた。


わたしは、まだ自分に向き合えていない。

でも、それだっていいじゃないか。


未熟だってなんだって、

どんな人にだって、人を裁くことなんてできない。


わたしは、つねに、対等でいたい。

対等って、なんなんだろね。


子どもも大人も関係ないって、そういうことだったのかな。


大人になるって、なんだろう。


大人ってなんなんだろう。


こどものままのわたしが叫んでいる。