”爆レ”(セルフイメージ爆上げレッスン)参加報告書① | アラ還から始める老後の資産づくり

アラ還から始める老後の資産づくり

15年勤めた会社の退職金をつぎこんで始めた事業を閉め、残ったのは…借金。

「収入の柱は何本あってもいい。」そのアンテナに引っ掛かってきたのが今回始めた[トレード](の勉強)。

アラ還から始める資産形成。こりゃ楽しみだ〜!

ほぼほぼ、2年ぶりの、ぶりの照り焼きです。

 

と、ちゃうわな。ブログの更新です。

 

 

 2年前に、父が亡くなってから、ブログ更新する気力もなく、facebookを覗くのも億劫になりまして放置していました。

 正直言って、生活に追われていました。

 この間、じっちゃん亡くなったので、パートからフルタイムになりました。

 

 じっちゃんの葬儀を神式の、『家族葬』で執り行いました。

 コロナ以前でのことでしたので、周りがとても賑やかでした。

 (悪い意味でね。どうして亡くなった父の兄弟姉妹は何も口出ししないのに、母の方はこうも……と思いました。)

 

 



 母の兄弟姉妹がものすごい剣幕でして、

 通夜から葬儀が終わるまで、母とは一切口を利かず、無視状態で、必要なことは私たち子どもに話す徹底ぶりでした。

 

 夫を突然亡くし、寄る辺ない気持ちのところ、兄弟姉妹から一言も声をかけてもらえず、私ら夫婦は対応に追われ…

 葬儀の間ポツンとひとりぼっちの母。

 そんな母の心中を思うと、どんなにか切なかったろうと思います。

 


 その後ずっと母は自分の決めた「家族葬」という決断に対して、自分を責め続けていたように思います

 そして葬儀を済ませてから少しづつ、母の言動に違和感を覚えるようになっていきました。

 

 

 そんな母も父の一周忌を終えて、肩の荷を下ろすかの如く、父のもとへ旅立っていったのです。

 

 



 アルツハイマー型認知症(レビー小体型認知症)で、私たちには見えないものが見え、聞こえない声が聞こえる…

 母の急激な変化は、ともに生活していても恐怖を覚える時がありました。

 

 

 それまでずっと、

 「母のせい(私をこんな風に育てた)で、こんなに私は辛いのだ」という気持ちがあり、

 そんな母に対しても、すねている自分がいました。

 

 母が亡くなった時も、この気持ちを今後誰にぶつければいいのかと、憤りを感じたことも事実です。

 そんな時、 母の遺品を片付けていて、日記のようなノートを見つけました。

 そこに綴られていたのは、母の父に対する愛情と、父が若い頃した浮気のことでした。

 

 

 母は、父の浮気を全て知らないことにしてしまったため、浮気した父を責めることも、なじることも出来ず、そして本当に浮気をしていたのかを確かめることもできず、疑心暗鬼のまま、その気持ちをその後ずっと引きずって生きてきたのです。

 もちろん、そんなこと忘れて、思い出の奥深くにしまい込んで蓋をして、毎日を無我夢中に生きてきた時期もあったはずです。

 

 ですが、認知症という病気のせいか、母の「大好きな父に裏切られた思い」は強く、父の葬儀にさいし、労わって欲しかった、兄弟姉妹たちからの仕打ちに、後悔と自分を責める気持ちから蓋が外れ、心の奥底から浮かび上がってきて母を苦しめ続けていたようでした。。

 

 

 父と母との「かすがい」にされた私。

 私は父の秘蔵っ子で、溺愛されていました。

 

 父をつなぎとめるために、母は懸命に私を「理想的な娘」に育て上げようとしたのです。

 

 

 それを知ったとき私は「私の生き辛さ」を受け入れることができました。

 

 

  お父さんと喧嘩してでも聞いてみたらよかったのに。

  私なら絶対に我慢できない。し、しない。

 

 

 母が亡くなったことで、母に矯正されて作られた私と、本来の私が融合して、新しい私が生まれたように感じています。

 

 自分を縛り付けていた鎖がホロホロと崩れていくと、

 私は、「自分の生きたいように生きる」ために生まれてきたと、素直に思えたのです。