例えば自分が頑張る姿を、誰かに励まされたり、褒められたり、

「あなたの成長を楽しみにしてるよ」のサインを受け取ったときに、

 

「嬉しい。この人の期待に応えたい」

 

そんな嬉しい気持ちからじんわり湧き出す「期待に応えたい」は、

無理がなく、自然で、清々しい。

 

けれど、重くお腹に溜まる「期待に応えなきゃ」もある。

 

「期待に応えなきゃ」の次は、「けど、できない」がくる。

 

「けど、できない」「やれてない」感じ。

 

 

わたしの場合は、

 

その「期待」は、「完璧」だった。

 

 

(書き出すとちょっと恥ずかしいけれど)

 

「どこに出しても恥ずかしくない、できた娘、できた彼女、できた生徒であり続け、

成績も良く、性格が良く、みんなと仲良く、容量が良くなければならない感じ」がしたんだよね。

 

 

そう思うと、人の目に、思考に、ビクビクするよね。

 

他人の言葉にとても敏感になって、一喜一憂したり。

 

他の人に自分のできないところを知られたくなくて、隠したりね。

 

だからつい見栄を張って、嘘をついた気分になることもある。

 

 

あの時は、あの時なりの一生懸命だから、しょうがない。

 

……でも当たり前だけど、辛い!(笑)

 

 

だから、頑張ってる人は、一度整理するつもりで、

期待を下ろして、スッキリする方法を試してみてもいいかも。

 

物言わぬ周りの重圧を感じてる時、

他人の期待を背負っちゃって、潰れそうな時、

 

なろう・ならなきゃと思ってる自分像は、

 

本当になりたいのかな? を確認できる。

 

 

①「期待に応えてる状態って、どういう状態か」について、書き出してみる。

 

②一つ一つ「本当かな?」「絶対かな?」って問いかけてみる。

客観的にみて、どうよ?

 

 

 

①細かーーく書いていくと、

わたしみたいに「彼氏より値段の高い時計をつけるのに抵抗がある」とか、

「子供は親の言うことに従ってなきゃいけない」とか、いろんなことが出てくると思う。

 

下らない、こんな小さいことを……って感じることが出てきても、

書ききっちゃうのがポイント!

 

 

そう感じてることは本当だから。

そう感じたことは、そう感じたんだね、って受け止める。

これは実験だからね。

 

 

②立ち止まって「本当かな?」って見方をしてみたら、

ちょっとづつ心が軽くなって、笑けてきちゃうかも。

 

だって、大体本当じゃない(笑)

 

「わたしは好きなものを身につけたい」し、

「わたしは親と違ってていい」もんね。

 

 

「みんなができてることはできるようにならなきゃ。(できないのはわたしがダメなんだ)」

 

「向上しなきゃ、成長しなきゃ、期待を裏切ちゃったらどうしよう(今のままではダメだ)」

 

 

今思えば、

 

周りの人がわたしにそう思ってる、

って、わたしが勝手に思ってた。

 

 

そうして少しづつ自分の思考に気づいて、問い直すことが、

 

徐々に徐々に、他人の目や思考を気にしなくなって、いつしかどうとも感じなくなる。

 

それでも、期待に応えようと頑張ってた自分は消えない。

 

新しい自分として残るから。だから大丈夫だよ。