私の完璧主義のウラ
〜迷惑をかけてしまう〜



2021年1月より
3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー、根本裕幸師匠 のお弟子4期生に参加している
カウンセラー見習いミナトです。

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こんにちはニコニコ


今日は
私の悩みについての話題です。


私は
インプットしてきたことをアウトプットしようとした時


アウトプットの選択肢の前で
ワクワク
楽しい気持ちになっていても
それを具体的に考えていくと
細かいことがネックになり
行動につながらない


という状況があるのですが


そこには
やはり
「完璧主義」
というのがネックになってくるなぁ
と感じていました。


私の場合の「完璧主義」の背景には
•嫌われる
•孤独になる
•傷つく
そんな怖れもありますが


私にとってそれよりも大きいのが


ちゃんとやらないと
「迷惑をかけてしまう」


というものです。



これを、私なりに「愛」の視点でひもといてみようと思います。




「迷惑をかけてしまう」の起源(ミナトの場合)


私はいつから「迷惑をかけてしまう」と思っていたのかなと振り返ると、
幼少期の母との関係が浮き上がります。

母はいつも様々なことを1人で背負っていっぱいいっぱいの人でした。
母とのつながりを感じられなかった私は、長女として母を助けることで自分の存在意義を感じるようになっていたのですね。

私はかなりの自立した子供だったと思いますが、それでも子供時代は親に助けてもらわないと成り立たないことも多い。
「学校で使うこれを買って欲しい」
「習い事に間に合わないから車で送ってほしい」
等々…

そんな時私は、いつものようにいっぱいいっぱいの母に、罪悪感をたっぷり感じながらお願いした感覚を覚えています。
「お母さん、◯◯してもらってもいい……?」

そしてそれは大人になっても、人に何かをお願いしたり頼る時の私の感覚のベースになっていたように思います。



「迷惑をかけてしまう」に隠れている癒着の心


さて、そんな風に母を助ける役を自ら買ってでていた私。

母がいっぱいいっぱいで苦しそうなら
「私のせいかな?」
母がイライラしていれば
「私のせいだ!」
と思うのです。

もはや私の感情と母の感情は一体化し、
見分けがつかない癒着状態が日常です。


何か助けてもらいたい時、
罪悪感いっぱいで頼み、
その時母がいつものようにいっぱいいっぱいで疲れていたりイライラしていたら、
私は当たり前のように「私のせいで、また迷惑をかけてしまった」と思うのですね。
そしてまた私はがんばります。


私の心の前提が「頼る、助けてもらう」=「迷惑をかけること」となったのは
とても簡単なことだったように思います。


ここにあるのは「罪悪感」をもとにした母とのつながり=癒着です。



愛の視点で「迷惑をかけてしまう」を手放す


さて、これをどのように見ていきましょう。


自分の心を見るときは、さらに無意識や潜在意識のところに本質があるかもしれず、
自己判断してもあまり良い方向にはいかないかもしれないのですが、
ここでは私の好きな「愛」の視点でひとつの解釈を書いていきたいと思います。


私が娘として母をとてもとても愛していたことは言うまでもありません。


そして、母がなぜ、全てを1人で背負って生きていたのか。
今あの頃を思い浮かべると、母もまた「大切な人に迷惑をかけられない、かけたくない」という想いを持っていたように思います。


そうなのですよね、そこにある「迷惑をかけたくない」は、母も私も同じなのです。


母が子供の私と癒着してしまったのには、長い間世代で受け継がれてきたものでもある母や父の生き方、深い寂しさと罪悪感を抱えて1人で背負わずに生きられなかった母の「生」、そしてそもそも一心同体で生まれてきた命をなんとか幸せにしてあげたかった母なりの愛、、、様々な理由がそこにあるように思います。
(ここでは母の愛し方の感情的な理解というところをサラリと書いたように思いますが、母子癒着には子供の立場としての幼少期からの抑圧された感情やセクシャリティの側面などの様々があるものかもしれません。



子供の私は、大好きな母の大変そうな姿にぴったりハマってしまったのですね。


そうなのですよね。

ここには本当は「愛」しかないのです。


この、「大きな罪悪感」によるつながりを、本来そこにあった「大きな愛」としてみたら、
どれほどのものだったのでしょう!!
それぞれが自分の内なる愛を自覚し
相手の愛を受け取り。
それができたならおねがいおねがいラブラブ


かつて私は子供の立場で母を見て癒着したわけですが、母もとっくに大人であり、母は母の人生を生きています。


そして、いまだに私の日常で染みついている
「頼る、助けてもらう」=「迷惑をかけること」
という、癒着していた中で生まれた心の前提は、
もはや使う必要はないことを
私は知ることができています。


むしろその形は、愛ではなく信頼でもありません。



頼ったり助けてもらいたいと人にお願いする時
相手にどのような状況があるのか
どのように受け取られるのか
というのは私の問題ではありませんよね。
実際迷惑に受け取られることも無いとは言い切れません。

ですが、頼りたい、助けてもらいたい、と思うのは、
そもそもその相手に対する信頼(愛)があるからこそ。


期待やコントロール
罪悪感
そのようなものを手放して


「愛」で頼り
助けてもらい


つながっていきたいものですおねがい


本来そこには「愛」しかないのですから。






読んでいただいてありがとうございます!!

 
 
今日もあなたにとって幸せな時間が少しでも多くありますように。


カウンセラー見習い、ミナトでした(^^)


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【私の名前、ミナトの理由】
「港、湊」
私のみなとのイメージは
いつでもそこにあって
帰ってくる船を受け入れ
出ていく船を送り出す
そんなイメージ。

ミナト、は「あなたを支持します」そんなことの表明です。
 
【プロフィール】