自分の本質を掴もうと、自問自答を繰り返して、

 

グッと自身の深いところまで入っていく。

 

 

本当の自分は今、何を感じていて、どう思ってるのか?

 

自分の本音を探っていくことは楽しくもあるけど、、

 

イヤになるほど怖いことでもある。

 

 

自分の本音は、

 

自分が思っているほど綺麗なことばかりでは無いから。

 

 

過去あんなことをしてしまった自分や

 

今、こんなことを思ってしまう自分がいる。

 

 

頭では有り難いことだから・・と自分を納得させていても、

 

心の中では批判の嵐だったりする。

 

 

そんな自分をそのまま観ることができない。

 

 

 

毎朝レイキをして身体との対話を重ねてると、

 

細胞に溜まっていた負の感情が癒やされ、

 

周波数が変わっていくのを実感する。

 

 

胸やみぞおち辺りに手を当てていると、

 

愛を感じ、感謝が内側から湧き出てくる。

 

 

何かができたからという条件付きではなく

 

そのままの自分を受容し、

 

愛でることができるようになってくる。

 

 

自己否定が薄れ

 

溶けるような安堵感の中にどっぷりといる感覚。

 

 

その感覚が味わいたくて

 

毎日朝晩レイキを継続していたら

 

本当の自分が望んでいることも分かる様になってきた。

 

 

 

何を食べたいとか、何処に行きたいとか、

 

何をしたいってレベルの本音はスッとでてくる。

 

 

好きな事や、愛おしいと思える何か、

 

自分には素晴らしい本音が沢山あると思えるのは気分が良い。

 

 

 

だけど、更にその奥にある本音を覗いていくと、

 

ドロドロとしたネガティブな感情が蓋をされておざなりになってる。

 

 

負の本音をおざなりにしたまま、

 

どう生きたいのか?

 

という本質的な問いに答えを出すのは難しい。

 

 

 

怒り、嫉妬、妬み、劣等感、

 

自分勝手で、意地が悪くて、大嫌いな自分の側面。

 

 

それは、思い出したくもない遠い過去の記憶と紐付き、

 

やってしまったと後悔している苦い経験を、振り替えさせてくる。

 

あんなことを言われた、やられた、という被害者意識も沸いてくる。

 

 

人を陥れたこと、虐めたこと、

 

馬鹿にしてせせら笑ったこと、

 

ただ自分が傷つきたくないから、

 

自分を守るために人を傷つけてしまったこと。

 

 

それでも自分は悪くないと、言い訳ばかりして蓋をしていた、

 

あの時の、あの自分。

 

 

それは、吐きそうな程に汚らしく、

 

無かったことにしたい、隠していたい、

 

大嫌いな自分の側面だった。

 

 

だけど、そんなネガティブな側面は、

 

多かれ少なかれ誰にでもある、本当の姿だ。

 

 

完璧な人なんていない。

 

 

そう聞いたことはあるし、知ってはいるけど、

 

本当は解っていなかったと思い知らされる。

 

 

受け入れがたい、自分の本音。

 

 

ポジティブな本音もネガティブな本音も、

 

両方あって自分なんだと

 

完璧でなくてもいいと、ありのままの自分に目を開き、しっかり観る。

 

 

そんな自分自身を受け入れて、愛でる。

 

 

すると、自分の愛のエネルギーに飲み込まれ、

 

負のエネルギーは不思議と小さくなっていく。

 

 

無くなりはしなくても、蓋をしていたときとは違い、

 

認めて愛でてくれた自分自身が喜び、負はしぼんでいく。

 

 

完璧になんてなれなくてもいい。

 

 

強制的に蓋をしてしまうのではなく、

 

ありのままの自分を受け入れ始めた時、

 

魂が震え、本来の自分が取り戻される。

 

 

自分の嫌いな部分を正すように

 

難行苦行に励むのではなく、

 

あるがままを認めて自分を愛でたとき、

 

嫌いな部分も含めて好きになったときに、

 

本来の自分に戻り、

 

どう生きたいのか?

 

という本当の望みがわいてくる。

 

ココに気づけた事が、本当に大きな人生の転機だった。