箱根駅伝~悲喜こもごも~ | わたしの「らんにんぐ★ふぃろそふぃー」

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走ることでいろんなことを学ばせてもらいました。それはある意味自分の人生哲学になりうるかなという思いで、日々思ったことをランニングネタで書いたり書かなかったり、ゆるく、ほそく、ながく続けていけたらなと思います。どうぞ、末永く見守ってやってください。

お正月の風物詩。。。箱根駅伝



注目度の高さは言わずもがな。大学スポーツながら、お正月の風物詩としてテレビ中継も毎年高視聴率を記録しています。皆さん、ご覧になりました?


今年は東洋大学が堂々の大会2連覇。立役者はなんといっても山登り5区を担当した柏原選手でしたね。まさに山の神と言わんばかりの堂々たる走り。次々と前のランナーを抜き去り、たすきをもらった時点で先頭と4分半あった差を、最終的には逆に2位に3分半の差をつけてゴール。


仕事中だったのでその走りをタイムリーに見ることはできませんでしたが、翌朝のニュースで見たらあまりのすごさに、言葉が無くなりました。勢いそのままに、翌日の復路も一度も首位を譲ることなくゴール。すごいですね。



実は小生もかつては箱根駅伝を目指してトレーニングに励んだ大学生でした。長距離をやる学生ランナーであれ誰しもが多かれ少なかれ夢を見る舞台。しかし、その舞台に実際に立てるのはほんの一握り選手だけなんですよね。予選会の壁、チーム内の競争の壁、プレッシャーの壁、体調不良の壁・・・様々な壁が選手に高く高く立ちはだかります。テレビで見るような選手ってそういった壁を乗り越えた選手ばかりなんですね。実際に走った選手はもちろん、走れなかった選手にもたくさんのドラマがあります。決して人には知られることのあないドラマ。その人のそれまでの人生が詰まっているといっても過言じゃないかもしれないです。



小生の母校は70回記念大会を最後にかれこれ15年も箱根駅伝から遠ざかっていて、なかなか高い壁を乗り越えることはできませんでした。それでも大学3年の時に予選会で大学内トップタイムだったため、関東学連選抜チームに選出され、『箱根駅伝を走る』チャンスを手にしました。チームで出られなかった悔しさもあり、喜び半分、複雑な気持ち半分・・そんな心境でしたね。

時を同じくしてチームのキャプテンにもなり、自分の周りの世界が一気に変わったのを今でもよく覚えています。自分の練習もしなくちゃいけない、チームの面倒も見なくちゃいけない。。。そんな多忙な生活が自分の走りを見失わせてしまう原因になり、関東学連選抜チームの選手選考レースで自己ワーストタイムで惨敗。名誉挽回のチャンスとして与えてくれた最終調整合宿でもいいとこなしで、年末のに選手漏れの連絡を受けました。聞いた瞬間、あまりのショックと悔しさと不甲斐なさで言葉を失い、コーチにその報告の電話をした瞬間泣き崩れ、そのまま一晩中、考え込んでしまいました。



敗因ははっきりしてます。自分の走りができなかったこと。




予定では山下りの6区を担当することになっていました。補欠としていつ何時走れと言われてもいいように気持ちを切り替え、お正月1月2日は小田原に泊まりました。チームに何も異変がなかったので走ることはなかったです。チームの無事に安どする気持ちよりも、走りたかった気持ちのほうが強かったです。各校の選手寄せ集めチームの宿命かも知れませんが、選手の醜いエゴですよね。



大学を卒業して早3年。今でも箱根駅伝は見てると鳥肌が立ってしまい、ファンとして見れないです、特に6区は試走もしたし、中継を見ていると今どこを走っているかがわかっちゃう。ある意味辛いですね。今年は6区をすべて見ました。見てすぐテレビを消しました。



昔の悔いを成長の糧にしたいという想いはやっぱり強いですね。4年間一心不乱に取り組んだ陸上競技。だからこそ挫折感も大きかったですが、そこから得たものも大きかったんだろうなと今は思います。



箱根駅伝~悲喜こもごも。

箱根駅伝から卒業できていない、生涯現役ランナーの小生でした。