妻となり母になった私が何気ない日常で感じる性的虐待をうけた(性サバイバー)ゆえの感覚
でも大好き
「こんな私がママでごめんね」
ついこんなことを思う時、
ふと当時のことを考えたり性的虐待に関するニュースや記事を偶然目にした時は、途端に何か込み上がる。涙ではない。
そうなると、娘を抱きしめずにはいられなくて、おもちゃで遊んでようがEテレを観てようが、構わず娘の両頬を手で包む。
それから娘の目をじっと見て、可愛いなって笑みが溢れる。
娘からしてみれば「ママ邪魔しないでよ」って話なんだけども😂ごめん。
こんなこと言うべきじゃないのだろうけど、やっぱり思うことがある。
「あれらの日々が性的虐待だと、自分は被害者なんだと、知らずに生きていた方が気持ちが楽だった」
↑だいぶ私の本音だったりする。
被害者でありながら無知というのは時として哀れに映ると思う。それは私も思う。
母親になって思うのは、普通じゃないからこそ強く生きなければ、反対に、普通じゃない母親という申し訳なさ。
普通、普通じゃないって、一体何をもって普通と基準しているのかと自分でも笑ってしまう。
はたから見ればどんな過去を抱えていようと誰だって普通に見えるんだから。
だけど、
性的虐待という近親姦とも気持ち的な面で言えてしまうものを過去に持った私は、人としてどこか外れてしまったのではないか。
性的虐待に限ったことではないけど、やっぱり、なんだろう、とにかく普通じゃなくなったんだと。
自分で母親になることを選んだくせに何言ってんだって話なのはわかってる。
私は性的虐待の被害者で何一つ私が悪いことはないということと同じくらい分かってはいる。
わかった上で「こんな私がママでごめんね」と思ってしまうのだから、どうしようもない。
↑このブログの内容もそうだけど、どんな気持ちになろうが、結局は最後、娘が大好きで仕方ないただの母親だ。
でもごめんね、ママこんなんだからさ。
でも大好き。

