神様からの試練
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
どこかで聞いたこの言葉は、当時の私にとって支えでもあり、人の哀れみを悟った。
性的虐待は試練なのか。
私だから与えられたのか。
どこで聞いたのか覚えてもいない、宗教じみたその言葉を何度も自分に落とし込ませようとした。
神様というワードは強い。
神様は本当にいるかどうかの議論はさておき、頼みの綱や願掛けによく神様は登場する。
一見遠い存在のようでかなり身近なのだけど、だからこそ自分に言い聞かせたことがある。
「私でよかった。もしこれ(性的虐待の日常)が妹だったらきっと耐えられてなかった」
そう思うとまだ楽だった。
妹は母親似で私とあまり似ていない。
性格も全く違うし、正反対と言ってもいい。
交友関係は広くて活発で明るい妹。
交友関係は狭く深く、落ち着いてる姉の私。
漫画さながらにデキすぎ、長女らしく次女らしいだけなのかもしれないけど。。
妹の性格が羨ましいと思うこともあった。
羨ましいけど、仕方ない。
だって私は近親姦(当時の気持ち的に)しているから、そんなふうに無邪気に振る舞えない。
妹だけじゃなく、同級生をみていてもいつも思っていた。
無邪気でいられることがどれだけ幸せなのか、恵まれているのか、よく理解した方がいいって。
特に妹は家族だから、もし妹が私のような日常を送っていたら、あの明るい活発さは見られなかった。
その性格や雰囲気が失くならないでよかった。
そう思うと同時に、ふつふつと沸いてくる気持ちがあった。
「性的虐待をされていなかったら、私のこの性格は違ったのか」
「性的虐待をされたから、この性格に変わったのか」
「この性格の私は、本当の私じゃないのか」
考えだしたらキリのないことばかり。
だけどここでも自分をさとす癖が出てくる。
性的虐待が始まる時と終わった後に感じるものと同じ。
「試練。諦めろ、これは日常。いつかは終わること。考えたって仕方ない。そうだ、何を考えても私はこういう人間なんだから」
何事にも人に対しては「こんな日常あなたが送らないでよかった」と思うのに、自分は犠牲心の塊だった。
気付いた時にはもう日常化していて、その反動で、親にはひどく当たっていたところもあった。
性的虐待を試練だとは思わない方がいい。
100歩譲って「神様は乗り越えられる試練しか与えない」がそうだとして、その試練は少なくとも犯罪に巻き込まれることじゃない。
一番大事なのは自分が犯罪の被害に遭っている(遭った)という自覚を持つことだと思う。
だけどこれがものすごく複雑で難しいところ。
私自身頭ではしっかり理解しているけど、どうしても気持ちの面ではついていけないところがある。
もし『性的虐待=試練』だと思うところがあるなら、少しだけでいいから、それを自分の大切な人に当てはめて考えてほしい。
自分の大切だと思える人が自分と同じ目に遭っている時、そうやって「だから仕方ないよ。耐えろ。乗り越えろ」と言えるだろうか。
「言えないけど、私は…私だから…」と思うなら、それはきっと客観視できていないだけ。
自分を主人公にするんじゃなく、第三者として公平に整理してみてほしい。
自分がいかに加害者に寄り添ってしまっているか分かると思う。
気持ちの面では仕方ない部分もあるけど、せめて頭では分かっていてほしいなと思います😊
※めちゃくちゃ上から目線なのと悲劇のヒロインぶってるところがあるのは許して😂
※目に見えないだけで、何かを抱えてるものですよね
