8月1日(月)

 

猛暑。全国的に暑いらしい。

 

今日読んだ本。

・『サピエンス全史 下』ユヴァル・ノア・ハラリ(再読)

・『「後回し」にしない技術』イ・ミンギュ 

・『半沢直樹4 銀翼のイカロス』池井戸潤

・『お金か人生か――給料がなくても豊かになれる9ステップ』ヴィッキー・ロビン、ジョー・ドミンゲス 

・『ゴールデンカムイ 8巻』野田サトル

・『石の猿 上』ジェフリー・ディーヴァー

 

 

『石の猿』はどんどんおもしろくなる。

サックスが海底30mで鑑識するシーンは読んでいても息苦しくなる。
リーに手書きでメッセージを書くライム、かわいい。でもリーはフラグ立ったなぁ。死なないでほしい。

 

 

8月2日(火)

 

Netflixで『グレイマン』を見る。

めっちゃ強い暗殺者の映画。クールな主人公は『ザ・ファブル』の佐藤みたいでいい。アクションはドキドキできてよかった。相棒的な女性もいい仕事してる。ドライブテクすごかった。

 

ただ、今池井戸潤の半沢直樹シリーズを読み返しているせいか、悪者のCIAの人がうまく切り抜けててぎゃふんと言わされない結末にはもやっとする。少女を救ったはいいけれど、これからどうするの?と二人の将来が不安。と思って調べたら、原作は小説シリーズらしく、続編の企画があるとのこと。

 

それからサイコパス悪役がキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンズ)なので悪い人に見えず違和感。役柄のイメージつくのが嫌だと言ってシリーズものの役を断る俳優がいるけれど、こういうことを言うんだなー。

 

 

8月4日(木)

 

もう10年くらいやることリストに入っていた写真の整理に着手する。

こんまりの『人生がときめく片づけの魔法』をパラパラと再読してモチベーションを上げる。

 

写真を1枚1枚手にとってときめくものだけを残す。

クラウドにある写真は捨てるのにさほど躊躇はいらないけれど、データ化されていない昔の写真はたとえ自分の写りがいまいちでも、いや、いまいちどころか、もう小学生の頃のショートカットでメガネをかけ始めた頃の写真なんて「どこののび太君?」と言いたくなるくらいの黒歴史時代の代物だが、それでも捨てるのは難しいということに気づき、それらの写真をデータ化してくれるサービスをリサーチ。

 

結果「節目写真館」というスキャンサービスに依頼することに決定。原本を送付してから4ヵ月くらいかかるらしいが、気長に待とう。

 

 

8月6日(土)~8月7日(日)

 

8月7日がランボーの誕生日なので、誕生祝のためランボーとインターコンチネンタル東京ベイに宿泊。

 

レインボーブリッジを眺めながら愛犬を愛玩できる空間はよかった。

 

 

 

翌日のランチはペット可の焼肉屋うしすけへ。
 

 

肉にロックオン。

 

 

ランボーももう9才。あと何年一緒にいられるか、ということをいつも考えているが、「愛とは決して後悔しないこと」(映画『ある愛の詩』より)だと思っているので、後悔のないように愛したい。

 

 

8月9日(火)~8月11日(木)

 

8/9の午後から、少しお腹が痛いな、と思っていたのだが、夕方お風呂から上がった時点で立っていられない程の腹痛に襲われダウン。

胆管炎と診断されたときの痛みと同じだ。お腹の真ん中くらいがぐーっと押されるように痛む。

 

そこから熱が出始め、37.7度になる。

主治医には38.5度以上になったら病院に来るように言われているが、今回は微熱のため、こんなときのために処方されていた解熱剤などと飲んで横になり、ひたすら痛みが去ってくれることを願う。

 

夜中の3時に目覚めたとき、腹痛は消え熱も下がっていたが、8/10にはまた熱が上がり、8/11まで微熱が続きだるかったので、『ゴールデンカムイ』の再読をしたり、ヒカルのYouTubeなど見ながらごろごろして過ごす。

 

 

8月12日(木)~8月16日(火)

 

体調も回復したので栃木に帰省。

 

お墓参りをしたり、祖母の家で宴会をしたり、鬼怒川の個室貸切露天風呂に行ったり、那須高原ビールに行ったりして過ごす。

 

実家に帰ったとき、私は仕事もしないし(少しはしろよ、という自身の声が聞こえることもあるけれど)、本すらほとんど読まない。それでも、振り返ると数日があっという間に過ぎたように感じる。そんなとき、私は高村光太郎の『人に』という詩を思い出す。この詩はもちろん妻の智恵子のことを書いたものであるけれど、私が帰省したときに感じるのは、この詩を読んだときに感じるのと同じ圧倒的な肯定感なのだった。

 

 

   人に

 遊びぢやない
 暇つぶしぢやない
 あなたが私に会ひに来る
 ――画もかかず、本も読まず、仕事もせず――
 そして二日でも、三日でも
 笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
 さんざ時間をちぢめ
 数日を一瞬に果す


 ああ、けれども
 それは遊びぢやない
 暇つぶしぢやない
 充ちあふれた我等の余儀ない命である
 生である
 力である
 浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
 八月の自然の豊富さを
 あの山の奥に花さき朽ちる草草や
 声を発する日の光や
 無限に動く雲のむれや
 ありあまる雷霆や
 雨や水や
 緑や赤や青や黄や
 世界にふき出る勢力を
 無駄づかひと何うして言へよう
 あなたは私に躍り
 私はあなたにうたひ
 刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
 本を抛つ刹那の私と
 本を開く刹那の私と
 私の量は同じだ
 空疎な精励と
 空疎な遊惰とを
 私に関して聯想してはいけない
 愛する心のはちきれた時
 あなたは私に会ひに来る
 すべてを棄て、すべてをのり超え
 すべてをふみにじり
 又嬉嬉として

 

(『智恵子抄』高村光太郎より)