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最近、本業の方で教育プログラムを
企画立案→プレゼン→試行を経て
正式受注にこぎつけました。
これをやったところで、
通常業務に加えて教育業務が増え
かと言って別に給料が上がるわけでもないという……
完全に社会貢献だと思ってやってることなんです。
誰もが楽しく職業人生送れたらいいよねっていう思いで。
なので、
その人の行動に対しての支援、というスタイルです。
しかしまあ、
これが難しいですね。
いまのところ、成功率45%という感じでしょうか。
なんでかなあ、と考えてみたところ、
どうやら人生に対するスタンスは二つに分かれ、
一方なら成功しやすく
一方は成功しづらいようです。
自立的に生きる、と
依存的に生きる、
のスタンスの違いのようです。
わたし、超自立な性質なので、
自立ってのは本能的に誰でもしたいもので、ただ生育環境やらで依存的になってるんだ、と思ってたんですけど。
どうやら自分の意思で「依存的に生きる」と決めているらしい、という気づきに至りました。
ただ社会的には、成人したら自立、という流れがありますから、仕方なく自立的にように過ごしている、そう見せているけど隙あらば依存したいと虎視眈眈と狙っている、と言った感じでしょうか。
トマス・ゴードン博士が「救助」と「支援」の違いについてわかりやすくまとめています。
▪️救助
相手の代わりに問題を解決すること
相手の問題を自分が所有してしまうこと
相手を無能扱いしている
→依存を生む
▪️支援
相手が自分の問題に向き合い、行動していくことを手助けすること
相手の問題を奪わない
その人の問題を解決できる能力を信頼する
→自立
もちろん冒頭に述べたように私の教育プログラムは支援です。
その人が、その人の力で成長していくための基礎体力作りというイメージでしょうか。
ひとりは文句なしの成功ですね。
この子は働く場所は変わるかもしれないけど、職業人として生きていく、という覚悟を決めている自立的な子でした。
ひとりはなかなかアプローチに苦しみましたね。
おそらくですが、専業主婦になって依存したい願望はあるけどこのご時世たぶん共働きだよねー、という消去法な選択での職業人生かと思います。
依存と自立で揺れ動いてるかな。
成功失敗はまだわかりません。
ひとりは数年ここで働いているがうまく行かないから相談に乗って、ということで話をしましたが、全くうまく行かず。
「でも」しか言わず、微塵たりとも自分でやってみようとはしない依存心の塊をぶつけられました。
もう関わりたくありません。
なんでうまくいかないかと分析すると
彼女らは「救助」を求めているのであって、「支援」を求めていないんですね。
精肉店に行って、ビーフストロガノフくれって言ってるようなもんですね。
うまくいきっこありません。
そこで、さてどうします?
ビーフストロガノフ、作っちゃいます?
答えは、作らない、ですよね。
そんなことしたら、精肉店としての仕事が成り立たないですよね。
それはレストランの仕事ですよね。
人から相談受けて、
でもだってどうせの「3D」を繰り出され、
モヤモヤが残る時ってこれなんだと思う。
相手は「救助」を求めてる。
救助はねえ、そう頻繁にするもんじゃないです。
私この前、急性アレルギーで死にそう(と思った)になって救急車呼んで救助してもらったけど、
救助ってこういう「生命に関わる緊急事態」のときに発揮されるやつであって、日常ではないんです。
段差でつまづいた、こけて膝すりむいた、紙で指切った、なんかで救急車呼んだら怒られますよね。
湿布貼ったり、消毒したり、絆創膏貼ったりは必要で、利き手が怪我でうまくできなかったら手伝ってもらうことはよくやりますよね。
それは日常ですよね。
日常であり得るのは「支援」だけなのです。
日常で救助を頻発させたら…どうなるか、想像つきますよね。
モンスターを作ることになります。
というわけで
わたしも皆さんも、
この世を守るためにモンスターを作ってはなりません。
救助を望む人に
役立たず扱いされようと
冷たいと言われようと
見捨てるような罪悪感が心をかすめようと、
救助しなくていいのです!
そうなんだーうふふー
っていう「うふふ天然風お姉さん」になって受け流しましょう!
(私のようにイラついて切れちゃダメよーパワハラ言われるから)
2021年ですねー。
なんだか色々忙しく、
ほったらかしにしてたアカウントですが、
「もう書かないの?好きだったのに」
なんて言ってもらっちゃったので調子に乗ってみましょう。
ほったらかしにしてる間に、
世の中が激変しましたねえ。
ほったらかしにした原因の一つでもありますね
この激変。
言いづらいんですよ、なにかと。
わたしのスタンスは
無常を中心に置いてますので
「変化」ありきで世の中を認知してるし
自分の態度も常にチェックしてます。
「変化」の中には
生命の変化も含まれるので
「生→死」への変化も
当たり前として生きています。
(そうあろうとしています)
なので、
コロナ禍が蹂躙した2020年、
わたしの生活や在り方というのは
実はほとんど変わってません。
なので
不安はあまりないです。
しかしながら
今日が明日以降もずっと続く
死を禁忌として生きている
人にとっては
すごーく大変だろうな、と。
変化を望まない人
(人は恒常性を望むので大多数の人はそういう性質)
にとって、2020年の外圧による変化の強要は
不安と恐怖とストレスまみれで
とても冷静でいられへんかったやろな、
と思います。
東日本大震災の時もそうでしたが、
大多数の人にとって
死を考えながら生きるというのは
非常にストレス高いようですね
なので、
東日本大震災の時は
死を隣に置いて生きるのは
普通の人はしなくていいんじゃないかな
なんて思ったりもしてました。
が、
たった数年でこのコロナ禍。
これは「死」をちゃんと受け入れて生きていきなさいよ、
と言われているようです。
阪神大震災、東日本大震災、世界中でおきている地震や津波、そしてコロナ禍。
すこーしずつ
わたし達は準備をさせられてきているんでしょうかね。
不安や恐怖というのは
どうして起こると思います?
答えは、
「知らない」から。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
というように
知れば不安も恐怖もコントロールできるのです。
なので、まずは知る努力から。
知れば知るほど怖いっていうのもありますが、
それはもう、一言で言うと、
「自分が無知であることをようやく自覚した」
というのにすぎません。
そこに至って、ようやくスタートラインです。
コンクールで華々しいタイトルをお持ちのあるバイオリニストの女性が言っていた言葉があって
「血が出るまで練習してもできないんです」
という相談をよく受けると仰ってました。
それを聞くたび
だから出来ないんだよ
って思うそうです。
血が出るまでって、みんなしてる。
血が出てからどれだけ練習するかだよ。
とのこと。
血が出てからがスタートラインなのだそうです。
まあ、ここまでストイックに、とは思いませんが、
言いたい根本は同じです。
占星術的に、2020年から風の時代に移行したそうです。
これまでのやり方が根本からかわるそうなので、
レールに乗ってれば思考停止してても生きていられた土の時代のやり方では
生きていくのが苦しいんでしょう。
確固たるものは、
権威やお金ではなく
自分軸であるということ。
自分をしっかり見つめて、
知って、
無知であることを知って、
それでも(だからこそ)知っていく。
何を知ってて、何を知らないか。
知ったつもりになっているか。
自動思考というバイアスがどこにあるか。
そういうことがこれから必要になると思います。
性格の悪い人は何を見ても何を読んでも悪く受け取る。それは己に悪意がある事を早く知った方がいい。性格の良い人は何を見ても何を読んでも良い方に受け取る。善意のある人は、良い方に上手に変換できる善意がある。
— ゲッターズ飯田 (@getters_iida) August 8, 2017