何でも納屋につっこむ。

ありとあらゆる使わないモノが納屋につっこまれている。

 

さもありなん。。。ではないような?

 

 

 

何かで読んだ本(柳田国男だったかも)に、

子どもが嫁を取ると、離れを建てる。

当主が死ぬと、離れが本宅になり、本宅が離れになり、それまで日陰者だった子どもの連れ合いは、嫁と認識される。

前当主の連れ合いも亡くなると、離れを壊して焼く。

的なコトが書いてあった記憶があります。違うかも?

 

昔のモノは、ほとんどが木、少し焼き物か石くらいしか材料がなかったから、焼却処分だって簡単だったと思うのです。

使わないモノは、実家や納屋に押し込んでおいて、代替わりしたときに、焼却処分すればいいだけで。

 

日本の家の寿命が、他国に比べて短いのも、そんな話を知れば、さもありなん。と思うのです。

結婚と同時に家を建て、死んだら子どもに焼却処分してもらう。

せいぜい30~50年くらいで建物を処分するのが当たり前で。

 

日本人は、そういうモノとの付き合い方をしてきたし

日本人は、そういうイエとの付き合い方をしてきただけ。

 

DNAに刻まれているんでしょうかね?

 

 

 

。。。違うか。

 

私の父も母も、その姉弟も、実家に荷物を送りつけていません。

そして、本家でもないから、代々受け継ぐモノもありませんでした。

 

母方の祖父母宅を建て替えるときに、戦前に使っていた農機具、戦後に酪農をしていた時の道具、伯母達が小さかったときのモノを1日がかりで処分したと聞いています。

逆に言えば、屋根裏と一部屋に突っ込んでいたモノは、姉弟5人で1日で終わらせられた程度だったということ。もちろん後始末は伯父夫婦がしたと思いますが。

つまり。

子の不要品を親の家に集約していなかったので、その程度で済んだのです。

 

父方の祖父母宅は、伯母家族も同居していましたが、物置はなく、押し入れと縁側付きの6畳一間以外に、祖父母のモノはありませんでした。

 

そういうのが、私にとっての当たり前でした。

私も、弟も、実家に荷物を残していません。

 

 

一方で不思議だったのは、長野県出身の友人宅でした。

 

友人は、不要品を、東京から長野の実家に送り付けていました。

着なくなった服、飽きた本。。。。

一軒家とも見間違うような大きな物置(遊びに行って、現物見てきました。今の我が家と同サイズ)に、入れていくんだそうで。。。。

彼女の家の風習?慣習?に困惑を覚えたものです。

 

 

地域性なんでしょうかね。

離れと本宅を、延焼しない距離で建てられるような地域では、不要品を親の家に集める風習があったのでしょう。

遠くない将来に焼却処分すると分かっていたから。

だからこそ

老親の口から「私が死んだら処分して」という台詞も出てくるのでしょう。

 

ちなみに、私の祖父母は「私が死んだら処分して」とは一度も口にしたことはありません。

土地に余裕がない地域では、不要品は都度都度処分していくのが当たり前です。

 

 

土地に余裕がある地域では、不要品を実家の物置に押し込む伝統は、今なお続いているようです。

 

惜しむらくは、今は、所有地内で焼却処分ができないこと。

平成11年のダイオキシン規制法で、一程度以上の焼却炉でないと焼却処分ができなくなりました。

同時に、ゴミを分別していくことも全国的に開始されました。

都市部にあるような高機能焼却炉なら、未分別のゴミも焼却できるけれども、地方でそんな焼却炉がないなら、あらゆるものを分別するのがテッパンになったのです。

 

戦後、木や焼き物や石だけでなく、プラスチック、金属でできたモノが増えて、モノの組成が劇的に変わりました。

今年は戦後79年です。

人一人が生まれて死ぬだけの時間が経ちました。

モノの組成は複雑になり、処分にかける手間も複雑になりました。

そして四半世紀も前に、処分方法は根本的に変わってしまいました。

それに、隣近所との距離がやたら狭くなってしまった現代。

古家を、その場所で焼却処分するなど、今や妄想もいいところデスネ。

 

だから今や、親が死んだあと、子どもが分別して、処分して、と時間をかけるはめになるようです。

 


それなのに。

未だに。

実家にモノを溜め込んでおけば、処分が簡単だよと、過去の観念が、祖父母や親の口から出てきて、若い世代を唆す。

でも、今や、モノを溜め込んだ実家を更地に帰すには、モノの処分だけで数か月から数年かかってしまうでしょう。

大雑把に解体し、火を点け、1日で灰にでき、土に帰せた時代とは変わってしまいました。

だから、祖父母宅が遺り、祖父母の物置が遺り、親の家が遺り、親の物置が遺ってしまっているのです。

四半世紀前までなら、建物を解体するときに、モノも一緒に潰して、処分場に搬出できたんでしょうけれども。

どんどん時代が変わっていきます。

昔機能していたコトが、今や非常識になりました。

 

昔とは、もう80年も前の話です。

もはや、おとぎ話の世界、妄想の世界の話ではないでしょうか。

 

 

 

現実を見て、具体的に話をし、行動する。

 

意識を変える。

 

機能していない思い込みを、捨てる。

 

思考停止していたと気づく。

 

 

今や、そういう積み重ねの果てに、代替わりが完了する時代なのだと思うのです。