2022年3月4日(金)
やっとこの日を迎えました。
長かったような、あっという間だったような。
もちろん、先月のマルク終了後、10営業日が過ぎて電話がなかった時点で既に安心はしていたんですが。
いつものように自転車で病院に向かいました
いつものように2番目で呼ばれました。
いよいよです。
先月のマルクの結果が出ました。
お馴染みのRT-PCR。
定量に比べて精度の高い定性検査ですね。
急性前骨髄球性白血病(APL)の白血病細胞そのものと言うべき、PML-RARαという遺伝子異常の有無を調べます。
再発後の再寛解導入治療依頼、一度も引っかかったことはありませんが、果たして結果はいかに・・・
寛解を維持しました!!
深呼吸というか、大きく息を吐いたのを覚えています。
1年経ちました。
ようやく、スタートラインに立った、そんな気がしたんです。
血球はこちら。
-----
【血球】
・白血球 3.5 → 4.9 (正常範囲)
・ヘモグロビン 14.3→ 15.1 (正常範囲)
・血小板 191 → 227 (正常範囲)
-----
昨年11月以来、一度も増えていなかった血小板が増えていました
これで、「直近3ヶ月はたまたま下がり続けたように見えていた」ことが証明されました。
地味ですが、大きな安心材料です
心の中で、どこか「1年を超えるまでは安心できない」と思っていました。
自身の再発は地固め療法を終えて、半年後でした。
日本語的に、「再発」というのは、あたかも一度消えたものがもう一度復活したような感じがします。
でも違います。
検査に引っかからないレベルに減った白血病細胞が再び増殖して検査に引っかかることが再発です。
要は全滅させられなかっただけ。
再発するという事は悪い奴らが生き残ったんです。
余談ですが、将来検査技術が発展したら、白血病の再発は減ります。
全滅していないことがわかれば、治療が続けられることになるからです。
自分自身の再発の経験と様々な情報から、たちの悪い白血病細胞ほど、早く増殖すると確信していまして、もし自家移植で殺しきれていなかったら1年以内に再再発すると思っていました。
私の場合、初発の時にかなり珍しい治療法をしたため、参考になる統計データはありません。
しかし。
白血病が早期再発した場合の5年生存率は決して高くないことを知っていました。
でも、1年を経過したことで、「これは全滅させられたんじゃないか」という気持ちになれました。
自信を持って生きることができる。
生きることを前提として、毎日を過ごすことができる。
そんな気がします
最初は病棟担当の1年目医師、そして今は私の主治医となった通称「若先生」に御礼を言いました。
1年を経過したことで、ようやく安心できます、と。
若先生は同意したような、ちょっと申し訳なさそうな、何とも形容しがたい笑顔でこう言いました。
「そうですね。正直、嫌な再発の仕方をしたのは事実です。ただ、アムノレイクが効いたのが大きいと思います。定性検査でPCR陰性という状態で自家移植に臨めたのは大きかったと思いますね」
と。
振り返れば、再発の時に自ら作った資料を用いて説明してくれたのは若先生でした。
あの時点では治せる自信はなかったんでしょう。
骨髄移植の話をしたことを覚えています。
その後の再発治療。
沢山、本当に沢山の会話をしました。
非常に細かく、しつこく、何でも聞いてくる患者で手を焼いたかもしれません(笑)
そして、今日で彼とは3回目のお別れです。
医師の転勤はあるあるですが。
新年度から、別の病院に転勤が決まっているのです。
その病院は比較的新しい病院で、このブログで登場したB大の系列。
あらゆるがん患者が治療を受けるところで臨床中心。
つまり、血液内科では移植を多く担当することになります。
看護師さんに心配される位、いつも献身的に働くことで有名な若先生、活躍することは間違いないでしょう。
「私のように、一人でも多くの患者を救ってください」と伝えました。
こういうご時世なので、医師と患者の間には透明のビニールシートがありますので、握手こそしませんでしたが、力強く頷いてくれました。
「いつかまたバッタリと会いましょう」
「そうですね」
そう言って別れました。
2022年3月4日。
私は、「自信を持って生きるための切符」を手に入れました。
行先は5年後です。
このブログで、必ず5年後に振り返ることにしましょう。
私の後に道ができる。
私が生きることで、APL再発者の5年生存率を上げてやります
それでは、今日も皆様が健やかでありますように!