こんばんはやる気なしピスケ




今年もよろしくお願いします。




またずいぶん書くのが久しぶりになりました。




年末年始は家族が集まりまして、身内の集まりは濃いですね。




以前から何でも思ってることを言いあう家族なのですが、



言葉に出して話すことで傷ついたり、
言葉に出して話さないことで伝わらなかったり、




まぁ、ほんとに毎日勉強でした。




家族って引き合うので、
自分の中の苛立ちとか、顕著にでてきました。



途中何回か左耳が聞こえづらくなって、料理ばかり作ってました。




年も明けて、誕生日も迎え、33歳になって、一人の時間を過ごしてます。




色々整理していて、大きく気づいたこと。




一つは、




料理作って、食べてくれて美味しいと言ってくれるのはとても嬉しいけど、
料理を作りたい相手はここにはいないと思ったこと。




あと




自分の相手への『思いやり』は、極め細やかで美しくて素敵なようなもののように見えるのですが、




それは、実は裏の自分の汚い部分を打ち消そうとしてやっていたこと、と思ったこと。




どうしてそんなこと言われなきゃいけないの?
ただの会話なのに泣けてくるのはどうして?




と内面見たら、
やっぱり醜くて許せない部分だったんです。



気づければそれで由なので、また自分のことを深くわかって楽になるのですが、




それじゃ、本当の『思いやり』ってどういうものなのか?




という疑問がでてきました。




すぐに答えはやってきました。




『どんなことにも隠れている半分がある。
そのことを忘れずに物事を見るということ。それが思いやり



↑面白くて夢中で読んでた本の中の言葉。




はぁ、とため息をついて、
しばらく振り返ってみて、これが『思いやり』かと、納得しましたカナヘイハート




もぅとってつけたように、美しく塗りたくるのはやめよう。




涙が出てきました。



自分自身に怒りをぶつけていました。




『思いやり』一つ、とても奥が深い。




まずは自分から。




家族にありがとう、とても身になってる。