こんにちは
これは昨日食べたソフトクリーム美味しかった
旅から帰りまして、“恥ずかしさ”について考えさせられました。
一番どーーんと響き渡ったことだったので。
そしたらさっそく、私の目の前に“恥ずかしいこと”があらわれまして、
頭の中が真っ白になったけど、
『あーこんなこともあるよね』
と、自分を許しいてました。
自分以外の人にも言えたしね。
ずっと、恥ずかしくない自分と張り合っていたのだと思いました。
恥ずかしいと感じたことは、
受け入れがたくて、なかったことにしようとしていたんだな、
そんなこと思いました。
それを許さない度に、自分を苦しめていたのですね。
それがわかったとき、
パラリン(☆。☆)と、また殻が破れた感じがしました。
身体が喜んでる
改めて、全然気づいてなかったなぁ。と思う。
“恥ずかしさ”については、私の中で見た目の劣等感からくるものばかりだと思っていたけど、もっと奥が深った。
“恥ずかしくない人間に”と言われて育てられたことも1つの理由で、とっても窮屈に感じていたのだなと思った。
祖母やおばさんに言われた記憶があるので、理想があったのでしょうね。
今、思うと“恥ずかしくない人間”ってどんな人間なんだ!
なんて思いますけけどネ(^▽^;)
器用な方がいいと言われれば、器用に生きようと頑張ったし。
器用ですね、とそこを誉められても、
ざわざわして、いえいえそんなこと無いです。って素直に喜べない理由はこれなのねと言うこともわかったし
いつの間にか、器用な自分であるように、とかすり替えていたのでしょうね。
あーこれを書いてるだけでも、なんて小難しいことをして生きていたの!
ってなりますが、
不器用でも恥ずかしくても、それでいいと許せたから、
今はとっても嬉しいです(*^-^)b