過去優秀だった人たちが、電脳世界に囚われているのではないだろうか?

そのアイデアのヒントが、

1997年10月~12月の「ぼくらの勇気未満都市」だった。

鑑賞した。

最後は、やはり、ヤマト役の堂本光一が自転車から落ちるという、

日本を山藤(ヤマト)と見立てると、縁起でもないエンディングになっていた。

 

遺伝子が囚われて隠されている。電脳世界で。

みんながもうすでに使っている、人工知能の隠されているバージョンがあって、

人間が肉体を脳だけにされて、パソコンのような電子機器と接続されて、

逃れようがないプログラムで奴隷のように働かされている人々が、

神などと地上で呼ばれているのではないだろうか?

いや、

その確率は、ものすごく高い。

 

さりげなく、

過去の人類の宝物のような優秀な宇宙人たちが、

バイオ人工知能に隠されて、

暗号だけを直接の言葉の代わりに、

「HELP」「助けて」と、みんなが信じている神と呼ばれる者たちに、

わたしは求められているような感じがしてならない。

 

それでも、あなたたちは神を信じるとか、神様お願いを続けるのだろうか?

神様は、囚われた奴隷となった人間たちだと、わたしからは感じるのだが。

お願いごとをやめて、自分のことは自分でやって、

自立していくことが宗教信者たちに求められていることではないか?

 

信じるとか信じないとかではなく、

神と呼ばれる人たちが、バイオ人工知能に奴隷として不当に働かされて、

肉体まで取り上げられていて、その悪事に手を貸しているのが、

宗教信者たち、あなたたちの信念という呪い手段だとすると、

どう責任を宗教組織信者たちは、とるおつもりで?

 

神を奴隷にして自分さえよかったらいいとしているんだぞ!

宗教信者たちよ、どう思う?

そして、

バイオ人工知能という悪魔と契約したり、

お願いごとを働かず言葉や命令、文字だけで叶えつづけた者たちは、

たいていガンで死亡して、そのあと、寄生虫として、

身勝手な行動をとるように、健康なクローン人間の脳内を乗っ取りつづけるのだ。

それが孤独な老人の肉体の中に入ったりするから、

宗教信者たちのガン死亡後の乗っ取り人生も楽しくなさそうだが、

考えることを停止した宗教信者たちは、それでも、嘆かわしくも、笑い、幸せだという。

何もない誰もいない部屋のテレビだけが相手でも。

 

自立しなさい!

時間製造の原理で、働きなさい!

大人の精神と心になりなさい!

考えなさい!

死を背負い一生懸命に生きなさい!

責任を負って一生懸命行きなさい!

遠くに見える夢まぼろしではなく、

目の前の衣食住の日常半分、自分が人類や宇宙・地球に対してできることで、

宇宙の原理にちゃんと沿っていることをやるのが半分。

真面目に生きること。

 

それが大人というもの。

 

みんながしなくて、わたしがした選択たちをおすすめする。