一昨日の羽生結弦君のショートプログラム、バラード。
完璧のさらに上をいく、神々しい演技でした。
辛さ、思うようにいかないもどかしさを乗り越えて、表現も厚みを増し、
スピンもジャンプもステップも、一瞬たりとも無駄がない、強く、優しく、美しいプログラム。
感動を前にすると、わたしたちは謙虚にならざるを得ない。
父以外のことでは、今年はじめての涙。
1月27日に父が他界いたしました。
昨年11月半ばに家で転倒、腰を痛めてからあまり外出ができなくなってしまい、
もともとの持病である肺や心臓、皮膚のかゆみに、冷えなど、、
体調は芳しくなかったのですが、お正月から食欲もあり、腰もすっかりよくなって、
これからリハビリしてまた会社に行こうと言っていた矢先、
息苦しいとのことでいつもの病院にいったら、かなり進んだ肺炎とのこと。
入院した翌日昼から辛そうになって酸素吸入をし、抗生剤など処方していただくも回復せず、
点滴だけで翌日は体力が無くなり、腎臓の機能が低下、
血中酸素、血圧さがり、次の日の夜中に息を引きとりました。
入院前はわりと元気だったのに、あまりにも早く、、
もう少し早くに病院へ行っていればよかった、、、
父は、最後までほとんどのことが自分でできていて、
あまり話さない、がまんのよい人だったので、
最後までとてもがんばっていて、自分の美意識を貫いたことが今になってわかりました。
入院中はわたしたち家族、会社の方々が入れ替わり一緒にいらしてくださり、
病室はいつも賑やかだったのがせめてもよかったですが、、
91年の命を燃やしきりました。
父には可愛がってもらったという感じではないけれど、
怒られることもほぼなく、たいがい自由にさせてくれて、
よい学校に行かせてもらい、のびのびと育ててもらいました。
母に続き、これで一番の味方を失ったのかな、、
先週葬儀も終わり、はじめて喪主をつとめました。
お寺のご住職様が、父の話を2時間も聞いてくださり、
素晴らしい戒名をいただきました。
お花屋さんである葬儀社には色とりどりの華やかな祭壇を作っていただき、
悲しいながら癒されました。
父の目標であった、生涯現役、ピンピンコロリ、にほぼ近い最期でした。
支えてくださった会社の方々にも心から感謝しています。
わたしは、一緒に住んでいても後悔がたくさんあり、
もう少し修業が必要だったのに、、と思いますが。
小さな、どうでもよいことは、気にしない。
過去にくよくよせず、先のことに悩まず、成るように成る、
という父の精神で、わたしも強くたくましく、がんばっていこうと思います。