少し前まで、老後はハワイに住むのを目標にしていました。
それが、Jazzを始めた今は、少し様子が違ってきたんですけど。
Hawaiiに初めて行ったのは、高3の夏休み。学校の交換留学プログラムで、初めての海外でした。(あれ?と思った方~話を高校にもどすつもりではありませんヨ。念のため)
今までに何回か自分が変わるきっかけになった出来事がありましたが、これはまぎれも無くそうだったと思います。
高校生のときの感受性というのはすごいですよね。英語のほうはサッパリだったのですが、とにかく海綿のような吸収力。
すっかりHawaiiにかぶれてしまいました。
簡単にいうと、「わたしって小さいこと気にし過ぎ!もっとノビノビいこうよ~Take it easy!」の精神を学んだことかな。
日本を出ると、スケールの大きい人が沢山いて、とにかく勇気が出ます。
で、ここからが本題ですが、
嵐ファンになるちょっと前の6年前に、このHawaii留学プログラムがスタートして40周年の記念ツアーが開催され、娘を連れて参加したのです。
友人が高校で、ハワイから来る留学生の先生をずっとしているので、一緒に行こうと誘ってくれました。
丁度、娘は中学受験を終えたばかりの夏で、当時介護していた母からも、「お祝いにどこか旅行してきなさい」と。母は腎臓を悪くして、透析も始まっていましたが、一週間ショートステイに入って送り出してくれました。(母はその二年後に亡くなったのですが)
今の高校の先生、いろんな代の方とその家族、現地で合流する人もいて、総勢30~40名くらいだったでしょうか?
Hawaiiは、娘が生まれる前に両親と主人と一緒にゴルフに行った以来。
(この時も主人はこれ幸い・・と私たちがいない間、毎日ゴルフだったそう。)
ワイキキもアラモアナも通っていた高校もすっかり変わってしまっていましたが、懐かしい先生方や仲間と再会できて、それはSpecialなツアー。
高校でのレセプションの時に、今の学生が作ってくれたビデオ上映で流れていたこの曲。
ウクレレと歌声が好きで、CDをすぐに買い、しばらくこればかり聴いていました。
留学仲間には頼まれてもいないのにMDやCDを作って配りました。それにしてもMDっていうのはすぐに終わってしまいましたね。
IZさんは38歳の若さで残念ながら亡くなっています。この方の体格はスケールが大きいにも程があるというものでしたね・・・
それが、Jazzを始めた今は、少し様子が違ってきたんですけど。
Hawaiiに初めて行ったのは、高3の夏休み。学校の交換留学プログラムで、初めての海外でした。(あれ?と思った方~話を高校にもどすつもりではありませんヨ。念のため)
今までに何回か自分が変わるきっかけになった出来事がありましたが、これはまぎれも無くそうだったと思います。
高校生のときの感受性というのはすごいですよね。英語のほうはサッパリだったのですが、とにかく海綿のような吸収力。
すっかりHawaiiにかぶれてしまいました。
簡単にいうと、「わたしって小さいこと気にし過ぎ!もっとノビノビいこうよ~Take it easy!」の精神を学んだことかな。
日本を出ると、スケールの大きい人が沢山いて、とにかく勇気が出ます。
で、ここからが本題ですが、
嵐ファンになるちょっと前の6年前に、このHawaii留学プログラムがスタートして40周年の記念ツアーが開催され、娘を連れて参加したのです。
友人が高校で、ハワイから来る留学生の先生をずっとしているので、一緒に行こうと誘ってくれました。
丁度、娘は中学受験を終えたばかりの夏で、当時介護していた母からも、「お祝いにどこか旅行してきなさい」と。母は腎臓を悪くして、透析も始まっていましたが、一週間ショートステイに入って送り出してくれました。(母はその二年後に亡くなったのですが)
今の高校の先生、いろんな代の方とその家族、現地で合流する人もいて、総勢30~40名くらいだったでしょうか?
Hawaiiは、娘が生まれる前に両親と主人と一緒にゴルフに行った以来。
(この時も主人はこれ幸い・・と私たちがいない間、毎日ゴルフだったそう。)
ワイキキもアラモアナも通っていた高校もすっかり変わってしまっていましたが、懐かしい先生方や仲間と再会できて、それはSpecialなツアー。
高校でのレセプションの時に、今の学生が作ってくれたビデオ上映で流れていたこの曲。
ウクレレと歌声が好きで、CDをすぐに買い、しばらくこればかり聴いていました。
留学仲間には頼まれてもいないのにMDやCDを作って配りました。それにしてもMDっていうのはすぐに終わってしまいましたね。
IZさんは38歳の若さで残念ながら亡くなっています。この方の体格はスケールが大きいにも程があるというものでしたね・・・