「難を転ずる」といわれる南天
語呂合わせとは思いつつも、冬枯れの庭に映える真っ赤な実は、なんだか縁起よさそうな気がします


こちらはマンリョウでしょうか


漢字では「万両」と書きます
両とは昔のお金の単位で、江戸時代だと一石(いっこく、人間ひとりが1年間に食べる米の量)がほぼ一両らしいので…たぶん僕、米を年間50kgぐらい食べてると思うんです
10kg4,000円として、年間20,000円
その万倍だから…200,000,000円
合ってます?
えーっと、ゼロが多すぎてわかんないや…2億円ですか?
大金ですよね

観賞用に植えたんでしょうが、戦中戦後を乗り越え高度経済成長と共に生きた父母は、名前に願いを込めて縁起を担いだことは想像に難くありません



2024/1/2

岐阜県土岐市の中山神明神社に行ってきました



日の出直後で寒いのと、雨がぱらついていたので、ゴアテックスのセットアップジャケットを羽織って行きます
最近太りぎみなのもありますが、このジャケットって裾が絞ってあるので、胴体が膨らんでみえるんですよね…ゴニョゴニョ


国道19号を愛知県から長野県方面へ向かい、イオンモール土岐から長野県方面出口の合流路が終わるあたりに、歩行者用の参道入り口があります

反対側の長野方面から


白い土嚢の右手が参道です
車道と歩道には段差があり、車両は乗り入れできません
ここは歩行者専用です


下街道の案内板と石碑がありますが、小さくて見逃しそう
その先には


鳥居と急勾配の参道が見えます
50年くらい前に訪れたときは、うっそうとした杉林のなかに急勾配の石段があった記憶ですが、杉の木は伐られアスファルト舗装になったようです
ご覧のように一面苔だらけで滑りやすいのですが、真新しい注連縄ときれいな幟旗が掲げてあります
もともと階段であっただろうところなので、尋常ではない勾配なんですが、舗装時ロードローラーは自力で登っていけたんでしょうか?


参道の途中に、下街道の樹として金木犀が植えられていて、この街道は東海道と中山道を結び、古くから物流と御嶽参り・善光寺参り・伊勢参りで賑わっていた、とあります


振り返ると立派な石灯籠が鎮座しています
それにしても、この苔むした急坂は趣きがありますね
参道を上りきると、左手に社が見えてきます


無心で拝礼したつもりですが、煩悩が漏出していたことでしょう


祀神は天照大神(アマテラスオオミカミ)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東方征伐のおり腹痛をおこし、夢にでた杉林に神明=天照大神を祭祀して、その湧水を飲んだら治った、と解釈しました
腹痛に効くんですね


水神さまと、その由来が刻んであります


光の加減で読みとりにくいですが、昭和34年の伊勢湾台風で杉林が倒壊したため、神苑を整備し谷間を埋め立てたので往時の面影はない、と解釈しました
この場所は丘の上なので、泉は埋め立てられた谷間にあったということでしょうか

境内には石灯籠がいくつも並んでます


古いものは天保十年…江戸時代ですか?
1839年というと、天保の飢饉後で天保の改革前といったところみたいです


猿田彦之神 庚申塚とあります
不思議な形で二つの穴が開いてます
ほかにも日露戦争の戦没者慰霊碑も建っていました

神社に向かって右手には、立派な藤棚があります


棚の面積が広いので、季節になれば薄紫の花房が咲きそろうのではないでしょうか


藤棚から集落側の石灯籠を過ぎたところで振り返ってみました
落葉が一面に敷き詰められています
この隣は土岐自動車学校です


土岐自動車学校への道路横に、集落側の鳥居がありました
車やバイクでの参拝は、こちら側からだと駐車場がありますが、道中の集落内は生活道路です
道幅が狭く離合が難しいので、注意が必要だと思いました

桜も植えられていたので、また春の花の季節に訪れたいと思いました