過去と決別すべく文化祭に行った
高校時代、トラウマだった坊主頭にエナメルバッグの男子高校生たち
彼らは、ほのかに香る特有の女子高生臭と揺らぐ髪、スカートに目が血走って夢中なように見えていた
中学の頃よりも背丈が伸び、立ちはだかるエナメル集団は私にとって脅威であり恐怖に値したのだ
それが集合した文化祭は大袈裟な表現なしに震えるほど怖かった
当時電車で出会った彼らの顔は直視できず、ひたすら単語帳を読むふりをしていたはずだ
そんな過去と決別すべく文化祭に行った
あの時しか使っていない電車に乗る
ふかふかの椅子
前の乗車客との距離感
ローカルな広告
制服
何故かあの時の感覚が鮮明に蘇る
外の空気が揺れていた
あの夏の暑い日
海外へ行く前に最後にこの電車に乗った日
帰国して久しぶりに高校へ向かった日
直視できなかった彼ら
制汗剤の香りにドキドキしたあの頃
しかしやはり感覚が違うのだ
ローカル広告に載っていた電車賃のかかる観光地の案内
卒業してから幾度となく行っている
ああ、また行こうかなと気軽に考えられるようになっている
外の風景
物件がどのくらい安いか考えるようになっている
やはり一戸建てが多いな、とか
マップに目線を落として車ではここを抜ければあの道路にたどり着くな、とか
この無意識に変わった感覚は高校に到着してから更に実感することとなった
まず女子高生たち
数年前に卒業したと思い込んでいた私は大人になってしまったことを痛感する
綺麗でハリにある肌と若者言葉、流行りのキーホルダー
全てが若い
案内をしている男子高校生も、あの頃あんなにも大きく恐く映っていたのに小さく見える
私が普段聴いている男性の声よりも高い、細い
怖かった男子高校生たちの巣窟を、下しか見れなかった私はそこら辺の駅構内を歩くように簡単に、軽快に、歩けてしまったのだ
ダンスをする女子高生とそれに集まる男子高校生
呼び込みをする者、女子高生に連絡先を聞こうとしている者、運営のためにカメラを構える者
全員が子どもに見えてしまった
この前少し高い居酒屋で「高校生は恋愛対象に入るか」なんてくだらないトピックを討論してた時、「実はもう何年も前なんだよな高校生って。気分はまだ高校生だけどね」と締めくくっていたのを思い出した
きっと私も心は高校生で止まっていたのだ
あそこにいるサラリーマンも、中年太りの女性も、もしかしたら気分はずっと高校生のままなのかもしれない
だが実際の高校生を目の当たりにすると、ずいぶんと子どもに見える
見えてしまう
これがなんと切ないことか
きちんと歳をとっているのだ
思い返せば彼らはまだ何も経験していない
ガソリン代を気にすることも
都会のセンスに悩むことも
深夜2時にドン・キホーテで安い酒を買うことも
排気口から香る居酒屋の煙を吸いながら帰る夜も
たばこに惹かれる日があることも
ゲロ味のキスも
終電後、駅員がちりとりを持って掃除をしている光景を見ることも
バイト先のくたびれたフリーターと関わることも
好きかわからない感情も
ラブホテルの形式も
大型トラックばかりの夜の国道も
助手席でねちゃいけないルールも
ご飯行く、が誘い文句になる世界も
結婚の話ばかりするようになる世界も
結婚指輪と子どもばかりになるSNSも
あー清い
そして私は経験してしまったのだ
ほとんどを
この違和感がとても切ない
そして私が死ぬまでにこの違和感はどんどんと広がっていくのだろう
知ることばかりが楽しいわけでもなさそうだ