島に行った
定職というものについてからほとんど1年。
お金が安定的に入る生活とはどれほど心が楽か。
学生時代、悩みに悩み抜いた「社会人になりたくない」という想いと嫌悪感、将来への漠然とした不安は実際に体験することで払拭されてしまった。
唯一無二の何者かになりたいという想いは皆が抱く感情なのだろう。
しかし何者かになるには多くの障害がある。
嫉妬から何者かになろうとする人間を中傷する者もいる。
インターネットが当たり前になった現在ではその中傷行為が悪い意味で一般化されてしまった。
とにかく、いざ大人になってしまうと経済的に安定しているという甘い蜜に縋ってしまうのだ。
そうして人から個性がなくなっていく
電車に乗っているくたびれたサラリーマンもその一端だ。
かく言う私もきっとその一人になってしまった
どちらにせよ、お金は私をあの島に連れて行った
会社の評価サイトなど宛てにならない
サイトで散々ブラック企業と言われていたこの会社は、入ってみたら新卒を甘やかすホワイト企業だった
会社は最後の週はやることがないから、と時間と金を分け与え私に旅を経験させた
本州を離れ、気圧からなる頭痛と共に向かった港町。
異国の地で毎日接していた港と同じ匂いがした。
目的地で名産のうどんを食べると、それだけで幸せな気分になった。
商店街を練り歩いてみる
商店街では統一感のないフォントと300円のドライフラワーを売っているワゴンを見つけた。
安いな
眼鏡をかけた肩より短い強いパーマ
独特な帽子を身につけたエプロン姿の女性
あまり売れていないのか錆びたパイプ椅子に下を向いて座っていた
話しかけてみると驚いた様子で立ち上がり、違いを淡々と説明してくれた
立ち去る際に「素敵なお店ですね」と声をかけてみる
すると表情が明るくなり「これらは全て手作りで時間をかけて作ってる」と説明してくれた
素敵な趣味だ
海に連なる橋を電車で渡りたい。不安定な天気の中、午後1番に海に着くと、まずそんな想いが込み上げてきた。
衝動的に駅に行き、ちょうど出ている電車に揺れてみる。
どうせ雨だから見れないだろう。思い出づくりだと思って。
心の中でそんなことを唱えていると、後ろ向きな気持ちと反して、次第に雲が薄くなってきた。
ちょうど目当ての橋を渡る瞬間には、なんと太陽が顔を出してくれたのだ。
一見でネガティブになるなよ。
そう言われた気がした。
光に映る輝く海と、待ってましたと言わんばかりの暖かい太陽が電車を照らし、私はその光景を必死に写真に収める。
復路の最後尾で、窓から何枚も写真を撮っていると「すみません!今なら見えますよ。橋!」と男性に話しかけられた。
軽く会釈をして写真を撮る
「あ、撮れました。ありがとうございます…!」
と話しかけると嬉しそうにカメラを両手に持ちながら
「僕も対面する列車を撮りたくて…。それ目当てできたんです。よかったですよね晴れて。」
とニコニコしながら答えてくれた。
私が下車する前の駅で降りる直前には
「すみません、変な風に声かけちゃって」
と言葉を残し、姿を消した
霞んだオレンジを着たごくごく普通の40代くらいのふくよかな男性。
差した太陽が彼の眼鏡を照らしていた
一瞬の出会いだったが、心も暖かくなった
駅に戻ると、大好きなフィルムカメラのネガがないことに気づく
充電5%の携帯で調べてみるとカメラ屋は徒歩1時間。
1時間に1本のバスで20分。
島行きのフェリーの時間は30分後だった。
とりあえず、近くのカメラ屋に電話をかけてみる
「僕も近くのカメラ屋さんに聞いてみます。折り返しますね」
この街の人皆暖かい。
折り返し電話には残念なお知らせが耳に入ってきた。
仕方ない。残り12枚だけど貴重な12枚を写真に収めよう。
気を落としながら、高速フェリーに乗船。
暗闇の海をひたすら突き進む30分間
最後の10分くらいは揺られすぎて戻しそうになった
急いでレモン味の酔い止めを口にする
ようやく着いた島は雨が降りしきっていた。
緑を照らす少しのライトに港の名前が浮かぶ。
ごま油の匂いが港を覆っていた
後で知ったが、名産らしい
なんだか不気味だった
強い雨の中、宿泊先に着くと予想以上に広い部屋に案内される
空腹だった私は下のレストランで食事を済ませると、フロントで近くにネガフィルムがないか尋ねた
丁寧に手入れした白髪のおじいさんは、悩みながら周辺地図にボールペンで印をつける
自信なさげに案内された3つのカメラ屋に次の日向かうことにした。
翌朝昨日の雨とは打って変わり、たちこめた晴天の中で自転車を借りるために徒歩2分ほどの観光所へ向かった。
目の大きな明るい髪の女性が
「この辺は山が多いのでバスをお勧めしてますが本当に借りますか?」
とテンプレートの案内を行う
数分悩んで借りたい旨を伝えると少し面倒そうに自転車の鍵を渡してくれた
このサイクリング、素晴らしかった
まず訪れた海。
道中の橋から見えた輝く海は今でも目に焼き付いている。
潮が引くと道ができる観光スポット。
海が透き通っていて感動した。
皆愛する人や家族、友人と旅を共にする中1人で訪れた私は、ここにきた証を残したくて三脚で写真を撮る
腫れ物を見るような目で見られたが気にしない
いや、正直言うと少し気にした
帰り際に忘れ物をした私に
「すみません、これ…」と気まずそうに話しかけてきたニキビ顔の優しい高校生たちはあの後どんな話で盛り上がったのだろう
たしかに山道が多かったが、山を越えた後の坂道が最高に気持ちよかったから何も苦ではなかった
残り10枚程度のフィルムカメラを持って街を走っていると、見慣れた緑色のカメラマークが私の目に入ってくる
海に向かう途中、ネガフィルムを探し求め、島の至る電話番号にかけてみてはNoを聞いて諦めていた私にとっては、すがる想いだった。
昔ながらのガラス窓を開けてみると、亀によく似たおじいさんが奥から出てくる
開口一番に
「ネガありますか?フィルムカメラの!」
ときく。胸がどきどきした。
「何枚どり?」
「36枚で!!!」
必死にネガフィルムを探す私はさぞ滑稽だっただろう
ニヤニヤしながら
「あるよ」
と返事をくれた。救世主だった。
「助かりました!ずっと探してたんですけどどこにもなくて。本当に本当にありがとうございます!!!!」
精一杯の感謝を伝えると出身を聞かれ、彼の息子の話をしてくれた。
東京に住んでいること。大手銀行に就職していたこと。今はIT関連の仕事で経営側を回っていること。
「息子さんすごい。エリートですね…!」
と返事すると、嬉しそうに笑っていた。
道中では、見つけた小さな道路でまた写真を撮ってみる
もちろん三脚を立てて。1人で。
両手で収まるくらいの年齢の姉弟が「こんにちは〜」と微笑みながらもじもじと話しかけてきた
4枚ほど写真を撮り、遊んでいた2人に手を振る
ちぎれそうなくらい手をブンブンさせながら見送る姉弟たちがとても愛くるしかった
永遠と突き抜ける日差しを走った後は、オリーブ畑の広がるカフェで休憩する。
ドーナツが美味しい。
こんな時期なのにいつの間にかタンクトップになっていた。
カラカラとした気候と、カンカン照りの太陽。
坂道で風を切ると、じんわりとかいた汗もすぐに蒸発していった
帰り際には小さな隙間から海の覗く場所を発見する
即座に自転車を止めて、潜ってみると狭い隙間から想像できないほどのオーシャンブルーが広がっていた
青い。でも青一色ではない。
透明な海水に手を埋め、肌で風を感じながら静かに、ゆっくりと時間の過ぎる島を体全体で受け止めた
なんて気持ちいいんだろう
商店街で買ったドライフラワーを片手に1人で好きなだけ写真を撮ってみる
誰もいないから撮り放題だった
都心の急かされる感じもない
幸せな時間とはまさにこのことだろう
気が済んで海を離れると、ポップなTシャツ屋に出会った
中は何やら騒がしい
気分が上がっていた私は躊躇なく入店してみる
「あらっどなた!!!」
大きな声で歓迎する店主。と、その他3名。
店主は小さいけど迫力のある70代の男性。
上下ジーンズに合わせるようなアメカジスタイルの帽子。イケてる。
続いて背の高い50代くらいの男性がタバコ声で話しかけてくる。
「姉ちゃん何しにきたん。」
「どこの人なん」
「おっぱい大きいね」
完全にセクハラである
でもなんだか開放的で居心地が良かった
勧められたTシャツを試着してみる
「半額にしたげるから買ってきな」
姉ちゃんはこういう時に武器になるのだ
結局2着強引にも購入することになった
帰り際、煙草をふかしながら「また来なよ」といったジーンズ姿のおじさんの言葉が何だか耳に焼きついた
サイクリングでの貸し出し時間はおよそ6時間だったが、本当にあっという間だった。
日が暮れる前に観光所に到着。
朝に対応してくれた女性にもう一度話しかける
なんだかRPGのミッションクリアの時みたいだった
1日中走って汗のかいた私は、スーパー銭湯に向かうために16時以降も貸し出し可能な自転車を再度借りた。
携帯で手続きをしている最中、
「こんちは」
「その花、俺にくれるん?」
と3人の学生らしき男性が話しかけてきたが、手続きが難しく無視してしまった
もったいない
電動自転車で楽をしながら山を登る
スーパー銭湯は肩たたき風呂や遊歩道とゼロ距離の露天風呂など変わったものが多かったがそれがまた新鮮だった
サウナでは新喜劇が流れていた
話す人話す人方言が目立っていたが、ここはほとんど関西なのか、と改めて認識した
水風呂に浸かった後ふと手を見てみると時計跡がくっきりとついて皮膚が真っ赤になっていた
そういえば日焼け止めを塗るのを忘れていたことに気づく
支度を終えて風呂を上がると、瓶詰めのフルーツ牛乳を体に流し込む
最高に至福の時だ
そしてなんだかいつものフルーツ牛乳より美味しかった
早々に山道を下ると目標時間の客船にも乗船できた
島を出るとき少し夕日がかかった空を見て、切ない気持ちになる
ほんの1日滞在しただけだが、また訪れたくなった
いや、また訪れよう
赤くなった両腕でカメラにその景色を収めながらそう固く決心していた
港に着く間際、客船の2階から外を見てみると港町の夜景が地平線の奥に広がっていた
小さな頃にどこかの絵本でみた、竜宮城に向かう絵が何故か頭に蘇った
目を上に向けてみる
すると満点の星空が広がっていた
暗闇に波泡吹かせる大きな船
ヤマハのバイクジャケットを身に纏わなければ寒い空と少しの風
誰もいない客船の2階
澄んだ空気
全てが初めてで、全てが輝かしい
一人旅で、ひとりしかいないこの空間で、全てを独り占めした気分だった
この光景は一生忘れないだろう
走馬灯で蘇るべき景色だ
港に帰ると、ホテルにチェックインを済ませ、すぐさま酒を飲みに街に繰り出す
日曜だったからか、残念ながらほとんどシャッターが閉まっていた
やっと見つけた酒場は満席
「日曜は基本やってないとこ多いんですよ」
不自然に黒々しい髪の毛をスプレーで強く固めた店主は申し訳なさそうにそんなことを言った
諦めかけた時、商店街の端っこで暖簾がかかって明るくなっている店を見つける
中を除いてみると「やってますよ」と迎え入れられた
慌てて黒マスクをする主人
店内には私以外誰もいなかった
思い返せば今回は諦めかけていた時に救世主がきているな
太陽も、カメラ屋のおじいさんも、この黒マスクの主人も
私にとってみな救世主である
適当に注文をすると、手際良く料理を作ってくれた
居酒屋には新しい出会いを求め話に来たようなものだったが、店主は無口だった
何度か話しかけてみるが回答しか返ってこない
店内にはひたすらテレビの音が響き渡る
残念だったが料理が美味しかったから良しとしよう
とくにチーズのフリットが最高だった
店内を見渡してみると大量に写真が貼ってある
「ちょっと見ても良いですか?」と声をかけると少し明るい表情でokをもらえた
5回目に話しかけた時、ワインソムリエの血が疼いたのか情熱を持ってワインについて語り出してくれた
自然派ワインをおすすめしていること
13°以下で保存しないと悪くなってしまうこと
コンビニのワインと店のワインの違い
ジョージアのワイン製法は壺型であり珍しいこと
年代物のワインがどう育っていくか
おすすめのワイナリー
ワイン製造の写真集まで席に持ってきてくれた
少し打ち解け、お酒も回ったところで退店
目新しい店は見つけられずホテルに戻る
次の日、早朝に起きるとモーニングを食べにまた商店街に向かった
この街の喫茶店はタバコを吸いに行くところのようだ
禁煙の店が一つもない
仕方なく昨日目星をつけていた喫煙可の喫茶店に向かう
ここも素晴らしかった
モーニングが480円。
頼んだカフェラテはきちんとエスプレッソの味がした。
暖かい出来立てのホットサンドとミニサラダ、ゆでたまごをプリンに変更できてこの値段とサービスだから素晴らしい。
喫煙者はいたが席が広くそこまで気にならない
素敵な店を後にし、港に戻る。
この街を出るのが苦しかった。
また絶対戻ってこよう。
空港に向かうバスで、どうしたらここに戻れるかばかり考えていた
天候に恵まれ、救世主に恵まれ
全てが偶然かもしれない
この巡り合わせは奇跡である
芸術祭の開かれるタイミングでまたここで絶対、新しい経験をしたいと心から思った
このような体験は未だかつてないものである
異国の地を訪れても、巡り会えなかった感情がこの島とこの港で出会うことができた
一見でネガティブになるなよ。
太陽からのメッセージはこの旅で立証された。
ニコニコする電車好きの男性
息子が褒められ嬉しそうなカメラ屋のおじいさん
ブンブンと手を振る姉弟
Tシャツを勧めるアメカジ屋の男たち
無口なワインソムリエ
こんなにすぐに戻りたいと思った街は他にない
帰りの電車で私は移住者ブログを見始めていた