社会人になっても
という単語を最近よく聞く
長い長い学生時代が終わり、半数以上が地獄に落ちる世界に飛び込もうとしている
いや、片足はすでに侵食されているかもしれない
そういえば
小学生になっても
中学生になっても
高校生になっても
大学生になっても
そうやって別れ際には、思い出せない誰かと口約束をしてきた気がする
毎日顔を合わせて、今では到底笑えないような話で大きな声を上げたあの頃
いつの時代もそんな日々が続くことを夢みていた
いざ進学すると、目の前のことに追われて、新しい環境に慣れていくうちに、歳をとって時が経ってやがて何もかも忘れてしまう
立ち止まることが許されないこの社会では、それが当たり前なのだ
幼馴染の父親が最近亡くなった
久しぶりに連絡をとったら、返信でようやくそんな話がきけた
彼女もまた、わたしの「あの頃」に影響を与えた人物の1人である。
携帯電話のない時代だったら、彼女の父がこの世にいないと知るのは幾分先だったのだろうか
数年前から見違えるように暗くなった彼女を、変えることもできなければ触れることもできず、気づいたら一年に一度お互いの誕生日を手紙をつけて祝うだけになっていた。
社会人になっても
その言葉を聞くだけで既視感が襲ってくる
本当はみんなその未来がないことに気づいているのではないだろうか。