フェイクレザーを触るあの感触で、秋を思い出してしまう私は、きっと純心を失ってしまったのだろう。


ラブホテルに行く回数分、心が退化していく感覚も

インスタグラムを開くたび、自殺願望が増していく感覚も


死体のような身体にリクルートスーツを通す時の感覚も





常々思うことがある。

生きる権利があるのであれば、なぜ死ぬ権利は与えられないのか。

死を尊重しながら、選択することが許されない社会がないと命を断つ者が増えることを先駆者が悟ったのか。

にこやかに冷たい目をする会社の先代は
きっとその形をとるわけがあることも知っている。

日々が忙しいと頭の上に空が広がっていることすら忘れてしまう

大きなビルの中に入っているコンビニエンスストアの正午には間隔を開けた人間がただの冷たく固いベンチに腰掛け無数に並んでいた。

陳列棚のように綺麗に

そこにいる人間は当たり前に、納得してひるごはんを食らっている

死体だらけのベンチに腰掛け続ければ

腰掛けるのをやめない限り、どんな人でも死体になってしまうだろう

組織に入るというのは
会社に入るというのは

きっとこういうことだ

自然を感じる心も

偽で成り立つ世界にすがるこのやるせなさも

全部全部

押し殺す

己の死体を無理やりうごかして過ごす日々はとんでも無く億劫だ

憂鬱だ

怠惰だ

でも生きている

生きる理由を見つける前に、死なない理由を見つけようとした時

それがなんとなく心地良かったのは何故だろうか

とにかく私は逃げて

醜い姿で

死体となって生きている