6月
部屋に充満する湿気とタオルの生臭さはこの時期特有のものだ。
タオルの匂いが気になると言ったあの日から母は小さな手でタオルを鼻に押し付けて何度も匂いを確認している。
その背中は何とも健気で儚い。
複数本の電車が連なる線路沿いに美しく咲き誇る紫陽花は、あまりにもうるさく通る電車たちを滴る雨とともに流しながら艶やかに光を放っていた。
この光景が麗しく、私は過去に何度も訪れている。いや、正確にいうと引き寄せられているのかもしれない。
まだ無垢で、肯定的な表現を好んだあの頃に得た高揚感と幸福感は今後絶対に手に入ることはないだろう。いわゆる特別な人という立ち位置にいた過去の人と初めてそこに訪れたときの気持ちを心の奥底でもう一度体験したいと思っているのかもしれない。
かつて過去の人が過去になった時、その場所が幸せな場所から思い出したくもないただの線路沿いになった時、リハビリのように一人でその場所を訪れたことがある。
紫陽花も咲いてない線路沿いは、老朽化した金属音の鳴り響くただのうるさい線路沿いで笑えてきたのをよく覚えている。
そのぐらいの時期から、この生きているうちに何度も体験しなければいけないままごとのような恋愛体験を客観視して卑下し始めたのかもしれない。
「週末は紫陽花見に行きたいな」
何の悪びれもなく過去になるであろう現在の人をあのうるさい線路沿いに呼び出した。
幸せそうに紫陽花を眺めるその人の表情は過去の私を見ているようで少しだけ心が痛んだ。
私はその人と何の躊躇もなく過去と全く同じ写真をおさめる。
その自傷行為は「この人もいずれは過去と同じようになることを忘れるな」と言い聞かせてとなえる、いわば自分への戒めであり、ブレーキでもあった。
そうしないと私はまた線路に行って止まらない電車から聞こえる耳障りの悪い金属音に身体を痛めつけるからである。
ロングスカートの奥の方からじわじわとかく汗とからからとしたあの人の声がなんともアンバランスで心がおかしくなりそうだ。
ふと雨雫を拭ったその人のハンカチからは、6月らしからぬ爽やかな匂いがした。