2年前の私は、男性が求める「女の子」だった。

頭の片隅にあった恋愛知識やコラムを応用して思わせぶりな言葉を羅列し、あたかも対象者のことを好きなように見せかけていた。

私は鋭い。性別などの枠組みを問わず、人間が今何を求めているかを察知し、それに伴ってわざと思惑を外したりあてたりすることが出来る。いや、出来たかもしれない。今はそれほど他に興味がないから。

ある日私は海が見たいと話す。
彼は車を走らせてくれた。夕暮れ時の海の近くの駐車場で、暖かい缶コーヒーを買って渡したのを覚えている。100円そこらのその缶コーヒーに魅せた笑顔は私の心を思いのほか感応した。煮詰まったような独特な甘ったるい風味のコーヒーをすすりながら彼の車で、私は慣れた手つきで、恋人に返信をしていた。
彼はセックスをする勇気もないくせに、長きに渡って私に恐ろしいほど執着していた。論外だ。

話は脱線するが、
「あー、あの時ずっといたんだよね、彼氏。」
安い居酒屋で故意に軽すぎる口調で話したその事実。これを明かした時の彼の絶望的な表情はたまらなかった。


「ええ!こんなに満足いったの初めてです!過去最高です!」
ある日無料だからと行った美容院で偶然出会った。彼は美しいのに自己肯定感が低い。永遠と会話もろくにせず進む作業。毎日に追われ希望を無くしかけている老犬のような顔つきをした彼が然し、この言葉をかけた瞬間一気に仕事の顔つきへと変貌したのが強く印象に残っている。取り繕った笑顔で、感動したように大袈裟に見せたあれによって、その後彼から頻繁に連絡が来るようになる。強めの営業の連絡である。美容院に行くと既に技術が高いのにも関わらず必ずサービスをしてくれる。
 
何を言いたいかというと、自分が適当に発した言葉や行動がある人にとってはかけがえのないものになる可能性があるということだ。


あの時の私を尊敬しているが、もう戻れないと思う。私は日々変わっていく。あの頃を完璧に再現するのは不可能であるし、思ってもいないことを言い続けると気が狂いそうになるし、何より人の心を「女の子」の働きかけで動かすことに飽きてしまった。 

だがしかし、あの時の私が多くの人の心を奪い、また多くの人の心の支えになったのは明白である。

言葉を発することの大切さ、そして罪深さが私の脳裏を掠めた。