私が第一の苦境を迎えた15歳の冬、当時カリスマと言われていた塾の講師は私の胸にこんな言葉を焼き付けた。
「迷ったとき、悩んだとき、そこに何本かの道があったとする。どうすれば分からなくなったとき、1番苦しい道を歩みなさい。そうすれば人生は良い方向に進むのです。」
彼の、いわば教祖的なこの言葉は今でも私をしっかりと捕らえている。
小学校時代、ありがたいことにほとんどやりたいことをやらせてもらって、特にこれと言った気負いもなく、千葉にあるテーマパークに行くことをひたすら人生の楽しみとして生きていたあの頃は、過去が美化される脳の原理と相まって幼い私の目にそれはそれは煌びやかに映って見えた。
しかしながら、中学に入学すると同時にこうした日々は、簡単に打ち砕かれることになる。
上下関係、権力と武力による絶対的な支配、ヒエラルキー、人間関係の構築
学校は、日本にしかない「社会人」という言葉に適応するような人材を率先してこれでもかと準備し始める。無論、学校教員もこの社会人育成の愚かさに気付いていない。それどころか立派な社会人になることが美徳と言わんばかりに指導を押しはかる。
ともかく、私をはじめ私の周りの人間は、時間に追われる近代人の模範のように、きりきりと部活動と学校と勉強と生活に、「ジュウジツシテルネ、チュウガクセイカツタノシイ」と発しながら身を置いていた。
「社会」という名の収容所に片足から入り始めなければならない恐怖を、学校教育という麻痺した側面から、権力者である教員に支配的に投げかけ続けられることによって、教育対象者は冷や水に身体を入れて硬直したように、やがて幸福という感覚を掴めなくなっていく。
まだ未発達の人間において年上や大人という年長者の意見は彼らが思っている以上に影響力がある。しかし、実際のところそれにも大人は気付いていない。もしくは都合の良いように気づかないふりをしているのかもしれない。
「迷ったら苦しい方へ」
はじめての受験を迎えた私にこの言葉は強く突き刺さった。
自己選択ができるようになった今、怠け者の「人間」という生き物は楽な方を選択しがちである。
人間の本望であるから仕方ない。
でも、あの言葉はそれでも現在の私を罵倒し、日々しくしくと傷付けているのだ。