眠れない夜には、こういう場所で何かを書くのが私に丁度良いのかもしれない。
あの日、大きな決断と共に大きな失望感を味わったあの日、社会は、世界は、普通に動いていた。
電車は通常運行で、街行く人は都会の街をせかせかと歩き、クリスマスの近い寒い道には私の心とは裏腹に煌びやかにイルミネーションが輝いていた。
「人は先の見えない世界に異様な程の恐怖感を覚える」
社会学は私にそんなことを教えてくれた。
たった数ヶ月でも、私にとって大きかったその存在が消えた時、私の中で世界はものすごく霞んで見えて、それはそれは確かに底知れない恐怖感が広がったのを今でも鮮明に覚えている。
全てが終わった。
もう悩まなくて済む。
その開放的な気分と、そこに混じる切なさは、人生の中であと何回経験する羽目になるのか。
その日の夜には予定があった。
たった数週間、異国の地で同じ時間を交わした数人の薄っぺらい仲間と、あえて、いや偶然、夜を越えた。
私の人生と、彼女らの人生の重なる時間はきっとほんとの僅かだ。
だからこそ、あの日彼女たちと過ごして正解だったのかもしれない。
様々な葛藤とぐたぐたに煮えきった私の心など知るはずもなく、楽しくパーティをする女たち。
それを見て、自分の人生がどれだけ荒んでも、世界にはなんの影響もなく、街に溢れる光も、情報も、電車も、車も、人間も、すべては通常運行で、無論彼女らにとってもそれは適用され、そしてただただ時は進んでいくことを悟った。
なんとなくこれが心地良かったのだ。
全てを失ったあの日、何か大きなものを掴んだ感じがした。
そして私が思っている以上に、何百倍何億倍も世界は大きく壮大であることに絶望を覚えた。
どうしてこんなに人間は弱いのだろうか。
この弱さが人間と人間を繋ぎ合わせ、社会を形成させているのか。
だとしたら、この世界はどれだけ最高で最悪なのか。
今日は寝よう。
こんな世界はもうこりごりだ。