景色というのは自分の思い出を蘇らせるひとつのツールであると思う。
最近、自分の通っていた小学校に真夜中訪れた。
真っ暗闇に光る理科室の非常口の光がまだ目に焼き付いている。
小学校近くの、そのよく発していた公園の名前は私の耳をくすぐる。
よく登っていた登り棒も、ジャングルジムも、大きな滑り台も、太陽の中で遊んだ時間はどれだけ刹那だったか。
闇に包まれた深夜の小学校は、私に
「もうこの時代は終わったのだ」
と、タチの悪い悪夢のように繰り返し囁いてくる。
そして、新しい時代はそこに導いてくれた彼と共に唐突に始まってしまった。
純粋無垢だった彼女と彼は、時が経って変化してしまった。いや、変化してしまったのは彼女だけだったかもしれない。
きたないきたないきたない
でもどうしても、どうしても、どうしてもやめられないのだ。
人の好意がどれほど力のあるものか、時が経って彼女は知ってしまった。
香りが一瞬で記憶を蘇らせる効力があるとすれば、景色はきっと潜在的に、ぼんやりと、しかし確実に、着実に身体に染み込ませる効力があるのではないか。
あの日土手で見た花火の景色も、あの人も、戻ることはない。
だから、彼女は彼を選んだ。