友人からの告白はいつになっても衝撃的で、心を掻き回される。
先日、「もう既に母が亡くなっている」
という報告をある友人から受けた。
彼女は淡々と、少なくとも私には冷静な「ように」彼女の母親が亡くなった話を私に話す。
「もう、高校の時点では余命宣告受けててさ〜3年くらいだったんだよね」
彼女から発せられる言葉はどことなく重苦しく、どこか切なげだった。
身近な人の死は人を変える。
それは、良い意味でも悪い意味でもあるかもしれない。
「人が死ぬことを実感した。」
友人はぽろっとそんなことを口にした。
「死ぬんだよね、人って。やっぱり、なんか死んだ時さ、なんとなく嘘っぽくて。でも本当だったんだよ。お母さんとは精神的な繋がりが薄くてさ、ちゃんとお母さんなことに変わりはないんだけど。お金は出してくれるし、生活は成り立ってるんだけど、心は繋がってなかったのかな〜。いつも仕事に焦点がいってる感じ。あの人の人生、半分以上労働時間に費やしてたんだよ?自分の好きなこともろくにできてなかったし。最後の方は私とも言い合いばっかだったし。それってもったいなくないかなって思って。」
機械的に感じるこれらの言葉は酷く私を突き刺す。
報いきれない私の気持ちと裏腹に、友人は真っ直ぐと語っていた。
痛みは人を美しくする
とはよく言ったものである。それは案外本当なのかもしれない。
やっぱり彼女は、紛れもなく私の友人である。