最近、ある団体の先輩と2人でご飯に行く機会があった。
彼は容姿端麗な方で、それでいて優しい人だった。
しかし、あるタイミングで彼の先輩の話になった。わたしは彼に何故その先輩が団体で出世できないのか、と尋ねると彼はおもむろに「ブサイクだから」と吐き捨てたのだ。
その時わたしはものすごい敗北感に打ちのめされたのを今でも覚えている。
彼は容姿端麗である。それでいて優しい。その彼が彼の先輩に向かって出世できない一番の理由はカリスマ性の無さ、容姿の悪さから来ると明かしたのだ。彼に言われたからには否めず、そしてその優しい彼から出た言葉とは思えないほどその言葉は重々しくそれでいて太く濃くわたしの体にのしかかった。
分析するならば、彼の言葉に納得してしまったわたし自身への、そして先輩のことを見下しても尚輝き、その発言に威厳さえも感じる彼のカリスマ性への、彼の先輩に対する罪悪感からの、それはそれは複雑な敗北感であった。
世の中顔であるというのは、どの会社組織や団体に入っても適用する決まり文句とも言えるべきものなのかもしれない。
自分にも世間にも心底腹が立った。